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「ヒヤさーん」
声をあげながら、玄関を開ける。呼び鈴はうるさくて、びっくりするからやめてくれと、以前に言われた。だだっ広い土間。ずっと前から使われていない釜戸は半ば朽ちて、このまま放っといたら全部が土に還りそうだ。
「ヒヤさーん、いないのー?」
「いるよー。いつものとこー」
上から声が返ってきた。靴を脱いであがる。目の前の和室、掛け軸の裏に、隠し部屋がある。その中に潜り込み、まっすぐ上に伸びる梯子を登った。長い。なにしろ三階分だ。そして狭い。正方形の筒みたいな空間。腕が疲れたら、背中を壁にもたれて休む。
「……あっつい」
ようやく上までのぼりきって、顔を出す。新鮮な空気をめいっぱい吸い込んだ。途端、ペンキの臭いにむせた。変な臭い。
「……普通に家の階段使えばいいのに」
ヒヤさんはマスクをつけたまま、そう言った。
「いい。こっちのが楽しい」
「……そう」
興味なさそうに彼はそっぽを向いて、また作業にとりかかった。はめ殺しの窓から日差しは降り注ぐけれど、どうもこの部屋は陽気に感じない。空気が停滞しているからだろうか。なんとなく、よどんでいる。今はひたすらにペンキ臭い。
ヒヤさんは壁に絵を描いている。まだ作成途中だ。絵、といっていいかどうかも、俺にはよくわからない。寸法をはかって、位置を定めていく。真っ黒に塗ってから、茶色を重ねていく。そこにはドアを完成させるらしい。開かないドア。ちなみに一階には本物のドアがついているくせに、扉を開けたら壁、というのもある。いわゆるトリックアートだ。からくり屋敷。ヒヤさんがここに住む前から、増改築を重ねた家は複雑で、彼はそれを更に進化させている。ウィンチェスター屋敷。でも意味のない扉や、天に伸びた梯子は、二笑亭みたいだ。
「…………」
作業中の大人に話しかけることはためらわれて、俺は何もない部屋に座り込んで、なんとなく外の景色を眺める。掃除していないことが一目瞭然な窓。長年、開けてすらいないのだろう。窓の外はベランダ……ではなく、誰一人渡ることの出来ない、か細い梯子が橋のようにかかっていて、むこうっかわの三階の部屋に続いている。あそこへは行ったことがない。なにしろ、階段がないのだから。この梯子以外に手段はなく、むしろ本当に部屋があるのかも疑わしい。お姫様でも囚われていそうな、塔の作り。磨りガラスの窓。でも、外見だけそれっぽくて、中は何もないんじゃないのかな。ほら、ディズニーの街並みが、張りぼてなのと一緒で。
「ここは空気が悪いから、下にいなさい」
ヒヤさんが俺に言う。だったら、窓を開ければいいのに。言葉を無視して、俺は問いかけた。
「ヒヤさんてゲージュツカ? 絵描き?」
ヒヤさんの動きは、さっと刷毛を動かしただけなのに、もう俺にはなんとなくドアに見える。掠れた茶色が、木目みたいだ。
「そうだね」
「嘘じゃん。この前は音楽家って言ってた!」
「そうだね」
むっとする。誰がいつ置いたのかわからないピアノ。ヒヤさんは俺に弾いてみせた。
「……その前は大工だった」
「そうだね」
「あと、箱職人と傘職人と、靴屋さん」
「そうだね」
「どれがほんと?」
「全部かな」
「…………」
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