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警告
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ふと、空を見上げてみる。
空なんていつも頭の上にあるものなのに、改めて目を凝らすと雲の切れ目やゆったりと流されていく様が目に新しい。
空って面白いな。
でも、首が痛い。
やっぱりおれには青い空白い雲みたいな爽やかな青春は似合わないんだろうな……
田舎で生活してた頃は、眩しい太陽の下であんなにはしゃぎ回ってたのに。
大学生にもなると、途端に歳をとったような気になる。
そう思いながら前に顔を戻したら、隣に歩いていたはずのこたが、随分後ろの方で、あっと声を上げた。
「あの雲ねこっぽい!」
どうやらおれの真似をして空を見ていたらしい。
立ち止まるほど夢中になるなんて……
こたはまだまだこどもだなあ。
「こた、行くぞー」
「待ってよおーじ!
あの雲写メるから」
「早くしろよ。
まったく……どんだけ猫好きなんだか」
まあ今更だけどさ。
こたの猫好き度数は日々上昇している。
多分学内では最もこたの扱いに慣れているであろうおれでも、未だに引くことがあるくらいだ。
道の先で待っていたおれに追い付いて、こたは嬉しそうに声を弾ませた。
「えへへ、お母さんに自慢しよ〜」
そういえば、お母さんも猫好きなんだろうか。
普通家で猫を飼っていて、家族ぐるみで猫派だったりする家庭が大半だけれど。
「こたの家って、猫飼ってるんだよな」
「飼ってるよ〜
あ、昨日もう一匹増えてさ!
も〜まじやばいの、めっちゃ可愛いの!
見て写真!」
ずいと画面を突き付けられる。
興奮するこたをなだめつつスマホを受け取って見ると、まだふわふわとした小さな仔猫がクッションの上で丸くなって眠っていた。
よーこよりも幼い。
生後数ヶ月といったところだろうか。
「な?な?
可愛いだろお」
すっかりほおをゆるゆるにして目を輝かすこたにスマホを返して、そうだなと気のない返事をする。
こたは気にも止めない様子で、画面の仔猫をうっとりと見つめた。
「つうかお前、この前も増えたって言ってなかったっけ」
「あ〜うん、増えた増えた〜」
「……」
今、一体こたの家には何匹猫がいるんだろうか。
何事にも限度はあると思う。
あるいは、こたの猫好きに限度という言葉が見当たらないように、もしかしたら例外もあるかもしれないけど。
まあなんにせよ……
こたの家には絶対行きたくないなあ。
「柳瀬、さきいかー
と残ったやきそばぱーん」
今日一日のシフトを終えて帰る支度をしていると、ロッカールームの扉を開けて、店長が顔を覗かせた。
「いつもいつも、ありがとうございます……」
深々と頭を下げて、神様への捧げ物を預かるかのごとくスーパーのレジ袋を受け取る。
この余り物たちが、どれほど家計を楽にしてくれていることか計り知れない。
そんなおれを見て、店長は大げさだなーと笑った。
「つーかさ、ありがとうはこっちの台詞。
柳瀬いねーとこの店回んねーからよ。
つまり、お前のおかげでおれは楽出来てるんです。
うん、マジ感謝」
「いえ、おれはまだまだですよ」
まさか感謝されるとは思わなかった。
嬉しいのが声に出ないように我慢して言い返すと、店長は豪快に笑っておれの頭をがしがしと撫でた。
「柳瀬はいい子だー
そんないい子には、おれからご褒美な?」
そう言って、おれに渡したレジ袋を指差す。
「デザート二個入れといたから。
ま、余りもんだけど」
「えっ……」
「六連勤お疲れ様。
明日はしっかり休んで、また明後日からよろしく頼むな」
店長は薄いしわの刻まれた目元をやわらげると、今度はぽんぽんと優しく頭を叩く。
おれはなんだかどうしようもなく嬉しくなってしまって、満面の笑みでお礼を言った。
「お疲れ様でしたー」
足取りも軽く店を出て、まだ鮮やかな夜の通りを進んでいく。
路地に入り車やバイクの走る音も静寂に飲まれて、辺りは冷たい空気に浸されてしんとしている。
リン……
そんな静寂の中でさえ、かすむことなく響く鈴の音。
おれが視線を巡らす前に、傍の家の石塀から黒いシルエットが地面にするりと滑り降りた。
『やけにご機嫌だね』
おれは目を瞬く。
なんでばれたのだろうか。
まるで心の中を見透かすように、オトの青い眸がおれを見つめた。
『音も色も波長も、随分賑やかだもの。
なんかいいことあった?』
自分の魂が見えちゃうというのは、少し複雑だ。
思考までは読めなくても、感情がただもれじゃないか。
おれは身体の中を覗かれているような、妙にむずがゆい気分になりながら、まぁな、と答えた。
「さきいか、もらってきたよ」
レジ袋を揺らして言うと、オトは少し声を高くした。
『わーい。
さきいか好きー』
「あとな、デザートももらったんだ。
ひとつやるよ。
オトも、ひとになればくえるだろ?」
『デザート?
甘いもの?
ミルク味のアイスなら食べたことあるけど』
「甘いもの好き?」
『分かんない。
アイス食べてお腹壊したから、それ以来口にしてない』
「あはは、まぬけ」
『うー、ミコトに言われるなんて心外……』
「ははは」
『もー笑わないでよー』
はたから見れば、おれがひとりでけらけら笑っているように映るのだろうか?
こんなにはっきりと頭の中で聞こえる声が、他人にはまったく聞こえていないのが不思議だ。
……つうか、おれがこんなふうに思うようになったことの方が不思議かもしれない。
最初はあんなに、猫がしゃべっていることが気味悪かったのに、今ではオトがしゃべらないとむしろ落ち着かないんだもんな。
慣れってすごい。
『……ねー、さっきから気持ち悪いんだけど』
「……は?」
なんだよ、気持ち悪いって?
思わず顔をしかめてオトの方を見て、違和感があることに気付いた。
オトの視線はおれを素通りして、どこかある一点を睨んでいる。
振り向いてみてもそこには闇が広がるばかりで、おれにはなにも……
なにも……?
『おれに用があるんだったら、ちゃんと顔を見せるのが礼儀なんじゃないの?』
よくよく目を凝らしてみる。
二つの点のようなものが、ゆっくりとこちらへ近付いてくる。
そしてそれは暗闇を割いて姿を現すと、おれたちの数メートル手前で立ち止まり、まるでお辞儀をするかのように頭を垂れた。
『……やっぱりばれてやしたか』
潰れた声だった。
男にしては高く嫌な質感で、ざらりとして耳になじまない。
まさに胡散臭さを声にしましたって感じだ。
つい身構えたおれには見向きもせず、縮れた赤茶色の毛並みを持つオス猫は、オトに続けて話しかける。
『完璧に気配を消したつもりだったんですがねぇ。
さすがオトのダンナ、と言ったところでさぁな』
『あんたさー、ほんとうっとーしいよ。
どんだけおれに付きまとってくるわけ?
暇なの?
ばかなの?』
オトがうんざりしたようにまくし立てる。
どうやら知り合いらしい。
一体どういう関係なのか分からないが、穏やかでなさそうなのは明白だった。
オス猫の方はと言うと、オトの牽制にも動じず、耳障りな声に笑みを乗せたままオトの言葉をさらりとかわす。
『ヒヒヒ、相変わらずオトのダンナはつれねぇでさぁな。
今日はちゃあんと、目的があって来たんでさぁ』
『ふーん?』
そこでやっと、オス猫はおれの方に細く鋭い眸をちらりと向けた。
呆然と二匹の会話を聞いていたおれは、慌てて構え直す。
しかし猫はおれなんて見えてもいないかのように、またオトに向かって淡々と言う。
『警告をしにきやした』
『……警告?』
オトは訝しげに首をひねる。
オトの反応をひとつひとつ楽しんでいるようで、オス猫は一々言葉をためて話を進めていく。
『いやぁそれにしても、ウワサには聞いていやしたが……
まさかダンナが、本当に人間まで手駒にしてしまうなんてねぇ。
いやはやさすがダンナ!
恐れ入りまさぁ』
……手駒だって?
それって、もしかしなくてもおれのことだよな?
まさかそんなふうに思われていたなんて。
もしかしたら猫社会でのオトは、猫たちの中でも実力派なのかもしれない。
『警告って?』
オトはあからさまに苛立っているようだった。
声にトゲがある。
そんな怖い声、何度もお前を怒らせてきたおれでも初めて聞くんだけど。
『まぁまぁ、そうイライラしねぇでくだせぇよ。
それじゃ、この際単刀直入に言わせてもれぇますとね……
その人間は、やめといた方がいいと思いやすよ』
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