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雪
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「……雪だ」
窓の外を見て呟いた。
いつ降り始めたのだろう、庭一面真っ白に染まり、柔らかそうな雪の玉がふわふわと降り注いでいる。
冷たい朝に身震いしながら、おれは布団を畳んで、居間に向かった。
……オトと縁側で話した日から、二日が経った。
あの日からオトとはぎこちないままで、まともに話していない。
おれが素っ気ない態度を取る度に、オトが哀しそうに俯くのが、なによりおれ自身を苦しめていた。
……哀しい顔をして欲しくないって、思うのに。
なのに、どうしておれは、あいつが傷付くようなことしか出来ないんだろう。
ひとこと謝れば、それで済むのだろうか。
それで、オトもおれも、元のような関係に戻れるのだろうか……
「みーたん、おっはよー!」
「……おはよう、姉ちゃん」
家の中だというのにもこもこのマフラーを巻いて、姉ちゃんが廊下を歩いてきた。
これから朝食を作りにいくんだろう。
「おれも手伝おうか」
「え?
なになに? みーたんも料理に興味がわいてきたのかな〜?」
嬉しそうに言われて、おれは曖昧に笑った。
確かに、一人暮らしの身で料理が出来るに越したことはない。
それに、おれ一人ならまだしも、今はあいつもいるんだし。
「……」
あいつは、おれと一緒に帰ってくれるのかな。
この家は、冬は寒いけど、うちよりは格段に広いし、空気はいいし、なにより毎日温かいご飯が食べられる。
あのボロいアパートより、自由な生活が出来るだろう。
もし……もしも、あいつがここに留まりたいって言うのなら……
おれは、首を縦に振れるのかな。
「……みーたん」
「ん?」
「大丈夫?
……辛いね。分かるよ、私も、そういう時期があったから」
「……」
「だけどね、これを乗り越えたら、あなたたちはこれまでよりもっと、幸せになれるから。
だから、めいっぱいぶつかりなさい。
無理することなんてないのよ。
みーたんの思うようにすればいい」
「……でも、このままじゃ」
「うん。
もしそうなってしまったなら、あなたたちはそこまでの関係だったってことよ。
本当にお互いを大切に想っているのなら、そんな結末はあり得ないわ。
だから、信じてあげて」
「……どっちを?」
「どっちも、よ。
……さ、ご飯作りに行こっか。
みーたん、なにが食べたい?」
ーー信じてあげて。
姉ちゃんのその言葉が、カイリのように、ふわふわとおれの回りを漂った。
信じる?
なにを?
……本当は解っているはずなのに、てのひらに乗れば、雪のように消えてしまう。
なぜ、どうして、掴むことが出来ないんだろう。
おれの気持ちも
あいつのことも……
その日は、食卓で顔を合わせる以外、オトと一緒にいることはなかった。
多分、外へ散歩にでも行っているのか、それとも、姫和の部屋にいるのか。
昔の歌に、猫はコタツで丸くなるという歌詞があるように、猫は寒いのが嫌いなのかな。
ひとりで外へ出て、寒い思いをしていないかな。
「…………」
そんなことを考えてながら廊下を歩いていたら、いつの間にか縁側まで出ていた。
夜になっても、雪はまだしんしんと降り続けている。
息を吐くと、白く舞って雪の中に消えた。
おれはその先へと導かれるように、裸足のまま庭へ降りていた。
「寒い……」
足元はすぐに感覚がなくなった。
きっと、朝起きたらひどい霜焼けになっているだろうな。
それでも引き返す気にはならなくて、おれはさくさくと雪を踏みながら庭を歩いていった。
……聞き慣れた声が聞こえたのは、そのときだった。
「……オト君?
どうしたの、寒いの?」
「ヒヨリ、……ごめん」
「え……、オトく……」
「…………あ……」
オトは、姫和の肩を押し家の外壁に追い詰めると、躊躇なく唇を重ねた。
驚いて見開かれた姫和の目が、ゆっくりと閉じられ、オトの背中に背伸びしてしがみつく。
「ん、……んっ、オト君……」
「は……、」
角度を変えては、何度も、何度も……
「…………っ、」
ああ。
ああ、なんで。
吐きそうだ。
おれは半ば逃げるように、二人に背を向けた。
濡れた足のまま部屋に飛び込み、扉を閉じて、おれはずるずると背中を引きずって座り込む。
そんなに走ったわけでもないのに、動悸が治まらなくて、短く息を吐くと過呼吸になりそうだった。
感覚のない手や足がガタガタ震えて、おれは自分のからだを強く抱いた。
「寒い……」
冷たい、闇の中に浸されたみたいに、からだが重たい。
おれは、おれはどうしたんだろう。
なんでこんなに吐き気がするんだろう。
なんで、なんで……
「なん、で……?」
涙が溢れて止まらないんだろう。
『……ミコト』
暗闇に、青い光がぼんやりと浮かび上がる。
どこからともなく現れたカイリは、心配そうにおれを見つめた。
『ミコト、大丈夫か?』
「……」
『だから言ったろ? ろくでもない目に合うぞって。
やっぱり、あいつ』
「うるさい、黙れ」
『……ご、ごめん』
今はお前なんかと話したい気分じゃない。
……だけどひとりで考え込んでいても苦しいだけなら、いっそ……
「……カイリ」
『ん?』
「お前に、おれの精気をやるよ」
『……へ?
い、いいのかッ?』
おれはふらりと立ち上がり、机のひきだしを開く。
大掃除の時に見つけたナイフを取り出して、肩の辺りに添えた。
『え、え、ミコト!?
ちょっと待ッ……!』
「……くっ……」
思ったように力が入らなくて、破れ切らなかった皮膚からじわりと血が滲んだ。
それでも留まることなく溢れ、パタパタと畳にシミをつくる。
せっかく掃除したのに、またやりなおしだな……
おれは自嘲気味にカイリに笑いかけた。
「ほら、好きなだけ持って行けよ」
『……ミコト』
呆然とおれの顔を眺めていたカイリは、やがて意を決したように頷いた。
『ミコト、ゴメンな。
……ありがとう』
ーーヒヨリ、ごめん。
一瞬、オトの声が脳裏に響いた。
「……ッ」
ひんやりとした感覚が肩を覆う。
カイリの触れている部分が冷たい。
おれはカイリに触れることは出来ないけど、どうやらカイリは、おれに触れるようだった。
ぢゅ、と血を飲む音が聞こえる。
おれは僅かに目を細めた。
…………なんだろう。
カイリに血を吸われる度に、なにかがおれの中に流れ込んでくる感覚。
それは混ざり合うことなく、からだの奥にとぐろを巻くように広がって……
「……うっ」
気持ちが悪い。
飲んではいけないものを飲んでしまったような気分だ。
吐き出したいのに吐き出せなくて、元からあった暖かいものが、その代わりに抜けて行く。
ーー嫌だ。
こんなの、おれはほしくない。
おれが、おれがほしいのは、
「ーーミコトっ!!」
「…………ッ」
ああ……
明るいな。
こんなに寒いのに、どうしてお前は、そんなにも……
『うわわッ
ゴメンナサイ!!』
「あんた、ミコトになにをした!」
『あああの、えっと、その……』
「……う……、」
「っ、ミコトっ……!」
崩れそうになったおれのからだを、暖かい腕が抱きとめる。
自分が今どんな顔をしているのか、分からなかったけど、オトがこんなに取り乱しているのを見るのは初めてだった。
「こんなに、冷たくなるまで……
どうして……」
『…………』
「ねぇ、なにがあったのかちゃんと説明してくれるかな」
『……人間の精気をもらえば、実体化出来るって、幽霊仲間から聞いたんだ』
カイリは、消え入りそうなほどか細い声で語り出した。
『人間の精気で実体化すれば、人間と言葉を交わせるようにもなるんだって。
でもそれをするには、オレのことが見える人間じゃないと駄目なんだって。
だから、だから……』
「あんたは実体化して、なにをしたかったの」
『オレは……
オレはただ、ユリに伝えたかっただけなんだ……
もうオレのことは忘れていいからって。
だから、幸せになってほしいって。
……オレを愛してくれてありがとうって……』
そう言ってから、カイリはゆるく首を振った。
『だけど、ユリの大切なひとを苦しめてまで、会いに行ったって、意味がないよな。
オレ、バカだよなァ。
ゴメンな。ゴメンな、ミコト……』
その言葉を最後に、カイリはすうっとどこかへ消えてしまった。
オトはそれを見届けてから、そっとおれの顔を覗き込んで、肩へと視線を移した。
「……なんでこんなこと……
あんなやつのために、なんで?
ミコト、あのままだったら、死ぬかもしれなかったんだよ?
ねぇ……ねぇ、解ってるの?」
「……ごめん、なさい」
なにも考えずに、そんな言葉が零れた。
オトが泣きそうな顔をするから、手を伸ばしたくても、からだは思うように動かなかった。
オトは小さくかぶりを振る。
それから壊れ物を扱うように、おれをそっと引き寄せ、強く強く抱き締めた。
「お願いだから、おれの前からいなくなろうとしないで……
ミコトを失くしたら、おれはまた、ひとりになっちゃう……」
「オト……」
オトはおれからからだを離し、じっとおれの目を見つめた。
「からだの中、気持ち悪いでしょ。
心配しなくて大丈夫だよ、おれが全部消してあげるから……」
「……っ」
オトはゆっくりと唇を合わせると、ぬるい舌を絡ませる。
流れ込んでくるものを飲み込むと
じわりと暖かな感覚が、冷たい鎖を溶かして行くように、からだの奥に広がった。
その愛しい感覚に身を委ねて、おれは意識を手放した。
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