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永滝家の日常
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永滝楓は神奈川県内の私立高校に通う高校3年生だ。学業に励むかたわら、忙しい父に代わって家事全般をこなす主婦でもある。今日も今日とて制服の上からエプロンをしめ、バスケットボールができそうな広いリビングをぱたぱたと駆け回る。
「おーい!遅刻するぞー!みんな早く起きろーっ!」
3回目のコールで、弟の永滝葵が洗面所からのんびりと顔を出した。「おはよう、兄さん」10秒遅れてもう1人の弟、永滝梗がらせん階段を転がるようにおりてくる。「おはよ楓!今日の朝飯なに!?」葵と梗は双子で、楓とは腹違いだ。今春から中学2年生。頑健な父に似て体格がよく、特に梗は楓より頭ひとつ分も大きい。
「残り野菜のホッペルポッペルに細切りパンケーキのフレーデルスープ、レンズ豆のホットサラダ、プレッツェルに3種のチーズディップ。デザートはアプリコットクーヘンだよ」
「今日もうまそーっ!いっただっきまーす!」
「このディップおいしい。兄さんはいいお嫁さんになれるね」
永滝家は前述の3人に父を加えた、男ばかりの4人家族だ。そしてこの父、永滝静馬こそが、ささやかな反抗期をむかえた楓の目下一番の悩みの種である。
「おはよう、父さん」
「ああ、おはよう」
遅れてリビングに現れた静馬は、起き抜けの気だるさを感じさせない凛とした立ち姿とそっけない返事で楓をドギマギさせた。ファッションデザイナーであり、有名ブランドをいくつも所有するアパレル企業のCEO。ときには自らモデルもこなす、類まれな美ぼうの持ち主。天使か女神かと見紛うような顔立ちに、ダビデ像もかくやとおぼしき肉体美、誰もが口をそろえて完璧が服を着て歩いているようだと言う。
「今朝は食べられそう?サラダだけでも摘まんだ方がいいよ」
「ああ、いただくよ」
「待ってて、今用意する」
新聞を片手にコーヒーをすする静馬を、アイランドキッチンの向こう側から盗み見る。身体にフィットしたブリティッシュ・スーツが長めのえり足とあいまって色っぽい。今日こそ打ち明けられるだろうか?
学校へ行く時刻になると、静馬は楓を連れてガレージへ向かった。
「双子は?」
「今日は友達ん家に寄ってくからいいって」
「そうか……わかった。早く乗りなさい」
助手席に乗り込みシートベルトを締めると、車は楓が通う私立高校へ向けて発進した。
会話のない静かすぎる車内に、女性物のパルファムの華やかな香り。2人きりの空間は、いつもなにか緊張する。静馬のことは大好きだし感謝もしているけれど、決して気安い存在ではないのだ。双子がいればにぎやかなのに……
「じゃあ、行ってきます」
「終わったら電話しなさい」
「うん。運転気を付けてね」
父の車が完全に道の先に消えたのを確認して、胸にたまった空気を一気に吐き出す。今朝はみょうに疲れた。
背中を丸めて校庭を歩いていると、追いかけてきたクラスメートが楓の首にうでを巻き付けた。「ぐえ」
「なんだあ、今日もベンツでお見送りか?お坊ちゃまはいいなあ!」
お定まりのからかいに「ほっとけ」と悪態をつく。
「なあ。ずっと気になってたんだけど、永滝ってなんで毎日送り迎えなんだ?」
保健体育の授業中、棒高跳びの順番待ちをしている楓をつかまえてたずねたのは、この春から同じクラスになった大西一だ。楓が通う私立聖信学院はミッション系の小中高一貫校。車での送迎は初等部から続いている習慣で、疑問を抱くのは高等部からの外部受験組ばかりだ。
「俺、小さいころ体が弱くてさ。しょっちゅう熱出して心配かけてたんだよね。今はもう平気なんだけど、父さんが心配だからって。ひとりでコンビニにも行かせてもらえないんだ」
「わーっ、絶望!俺なら死んじゃう!」
大西が大げさに騒ぎ立てると、聞き耳を立てていた前列の生徒、佐藤純平が振り返った。
「部活にも入れないんだろ?もったいねーなー、永滝けっこう運動神経いいのにな。一度親父さんとちゃんと話し合ったら?」
「なんども言ってるんだけどね。あの人、俺のことよちよちの赤ちゃんだと思ってるから」
「過保護って言うか……お前のことよっぽど大事なのな」
「ん……うち母親がいないから、そのぶん気負ってるんだと思う」
楓の母親は、楓が産まれてすぐ病気で亡くなったそうだ。楓が5歳の時に出て行った双子の母親は、都内のどこかに住んでいると聞いたことがある。
「ふぅん……温室育ちもけっこう大変なんだ」
男手ひとつで育ててくれた父を心から尊敬しているけれど、ときどきちょっと息苦しい。特に大人びたクラスメートたちの会話を耳にすると、自分ひとりネバーランドに取り残されたような、たまらない気持ちになる。疎外感や焦燥で叫びたくなる。ぜいたくな悩みだということは、重々わかっているけれど……
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