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64.初雪
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夕方5時を迎えた。
僕は店長ーー烏堂さんにお疲れ様でした、と言いエプロンを外し、上着を着て荷物を持ってレジから離れようとした。…透さんへの連絡は、とりあえず花屋を出てからにしよう、そう思いながら。
「待って凛人君」
しかし、レジを出てすぐの場所で、レジ前に立つ薄らと笑みを浮かべる烏堂さんに呼び止められ足を止める。
「今度、一緒に飲みにでも行かない?」
…!?
僕は烏堂さんの話に耳を疑った。
「……行きません。」
身の危険を感じながら強ばった顔で言う僕に対し、烏堂さんは変わらない笑顔を浮かべている。
「残念だな。君や俺を含め、那月や他のバイトの子も来る君の歓迎会のつもりなのにな。」
「…、えっ…?」
烏堂さんの話に僕は瞳を泳がす。歓迎会…?それは本当に?それとも嘘か…?
「僕…ただのバイトですけど…」
怪しむように烏堂さんを見ながら言う僕に、烏堂さんはあははと言いながら笑ってみせる。
「そうだけど、うちは仲良いからね。バイトの他の子とも結構親しくやってるんだよ。」
瞳を伏せながら笑む烏堂さんに、僕は眉をひそめる。…まさか他の子にも僕へするようなセクハラを…?
「俺、他の子とは結構仲良くやってる自信あるんだけど、何故か凛人君とだけは上手くいってない節あるっていうか…だからお酒でも飲んで打ち解けたいな、なんて」
…人のこと変な目で見てる店長と、なんて仲良くなれるわけがないだろっっ!この人ほんと何考えてるんだっっ!
「僕行けませんっっ」
「他の子たちは予定も空いてて行けるって言ってくれてるよ。那月もね」
…!
……これはこの人の作戦か?僕はじっと烏堂さんを見据える。
「…でも僕、お酒弱いのしか飲めません。」
「え、そうなの?」
「ビールとか焼酎とか日本酒とか…そういう強いのは無理です。気持ち悪くなっちゃうんで」
「酔うわけじゃないのか」
残念、そう言って笑う烏堂さんに、僕はキッと眉を寄せる。
「とにかく、僕それには行く気ないので」
「皆君のために行けるって言ってくれてるのに?」
「…、…無理です。それに僕、門限があるんです。遅くて7時までには家に帰らないとならないんです」
「…へえ」
それより、早くここを出て透さんに連絡かけないと…。
「まって凛人君」
…っ、
再び店を出ようとする僕を、引き止める烏堂さん。
「何をそんなに急いでるの?」
ビク
後ろから聞こえる烏堂さんの声に僕は体を固まらせる。後ろから、コツコツと歩いてくる足音が聞こえ僕は不安定に瞳を揺らし立ち尽くす。
「もしかしてあの男が迎えにでも来る?」
「…!」
耳傍で囁かれる声に、僕はハッと大きく目を見開いて慌てて男との距離を取った。
「…や、やめてくださいっっ!こうやって変なことしようとしてくるのっ!」
僕は焦りと不安で体を震わせていた。
「君は何をそんなに怯えてるんだ?俺にかい?それとも、これから迎えに来るあの男に対してか?」
…っ!
青い顔をして視線を落とす僕の腕を烏堂さんが握る。
「…離してっ」
「離さないよ。君があの男に捕まっているのなら、俺は見過ごす訳にはいかないよ」
そう言って烏堂さんが不意に僕の体を自分の胸に引き寄せた。僕は烏堂さんの体に包まれ、目を開いたまま息も出来ずに、ただ体を人形のように硬直させていた。
「… 必ずあの男から君を解放させてみせるよ。待っててね」
耳にかかる烏堂さんの息に僕はゾワッと背筋が冷えるのを感じて、どんっと烏堂さんの体を押し返した。
距離の離れた場所で依然としてじっとこちらを見てくる烏堂さんに、僕はハァハァと息を乱しながら踵を返した。
僕は走って花屋から出た。
“必ずあの男から君を解放させてみせる”
“そのキスマークをつけた奴に飼われてるね”
分からない。分からないけれど、僕はあの人から恐怖を感じてならない。何をされたわけでもないというのに、この体をあの人に見つめられるだけで、支配されているような感覚がする。…怖い、怖いっ、逃げなきゃ、…逃げなきゃ…っっ!
「わっっ!」
全力疾走で前も見ずに走っていた僕はそのうち前から歩いてきていた人とぶつかり、衝突して痛めた鼻を抑えながら僕はすみません、と謝った。
しかし、ぶつかった人物に向かって顔を上げた僕は途端にビクリと体を強ばらせた。
「凛人?」
……透、…さん……。
「なんだよお前、走って突然角から出てきて」
「…」
「危ないだろうが」
「ご、ごめん」
僕は透さんに気づかれないようにバクバクとする心臓の音を隠しながら平常心を保つようにして言った。
「お前遅いから、連絡来る前に迎えにきたんだ。」
そう言って傍に止めてある車を指さして言う透さん。
「あ、ありがとう。お客さん僕が上がる前に結構来たりして、それで連絡がなかなか…」
どきどきとしながら咄嗟に嘘をつく僕。
透さんは、じーと僕を見下ろしている。
「へえ。何でもいいけど働き過ぎるなよ」
「…えっ」
目を瞬かせる僕の頬に透さんの手が触れる。
「まだ寒い季節なんだ。またうっかり風邪でもひかないようにしろ」
そう言って僕の肩を抱いて、透さんが僕の体を自分の方へ引き寄せ温めるようにして歩きながら僕を見た。
「俺はいつ辞めてくれたっていいんだからな」
透さんに見つめられる鋭い瞳にどきん、とする。
「…うん」
…透さん、ごめんね。
僕あなたに嘘ばかりついてる。でも仕方ないの、だってそうしないとあなたはまた、恐ろしいあの悪魔のような表情で僕をあの家に閉じ込めてしまうでしょう。きっともう、僕に今みたいな生活は二度とできなくなってしまう。…そんなの僕、嫌なんだ。僕、例え嫌がらせを受けても、例え辛いことがあっても、自由でいたいんだ。もう、…犬の生活には戻りたくないの。
だから、あなたには本当のことは言えない。
ごめんね…。
「なんだよ、お前からそんなにひっついてくるなんて」
僕は透さんの分厚い胸板に顔を寄せながら、眉を下げた。あたたかい、この人の体は。…あの人とは違う。あの人と透さんは、違うんだ…。
「…透さん」
「なんだ」
「迎えに来てくれて、ありがとう」
すると、透さんが俯く僕の頭に唇を押し当ててきた。それにふっと顔を上げると、透さんがじっと僕のことを見つめながら、何か言おうとした。
そのとき、空からちょうど雪が舞い降りてきた。僕は空を見上げた。
「わぁ…初雪だね」
「ああ。どうりで寒いわけだ」
透さんが隣で、白い息を吐きながら軽く空を見上げて言う。
「確かに寒いかも…」
そう言って僕がぶるりと身を震わせると、透さんがふと巻いていた自分のマフラーを僕の首に巻き付けてきた。
「お前が巻いてろ、俺は平気だ。」
ドキン
「…あ、ありがとう、透さん」
透さんは僕に何も言わず、ふい、とそっぽを向いただけだった。
僕たちは少しの間寄り添って空を見上げた。
今の、もしかしたらもうこの瞬間だけかもしれない透さんの優しい手に肩を抱かれながら、僕はこの時を噛み締めるように、落ちてくる雪をいつまでも見つめていた。
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