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君の情熱的な愛と、僕の密やかな恋
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*
野薊は右の腰のホルダーから一本の刃を取り出し、厳格な男の足に向けて切り込んだ。逃走手段を奪い、追い込んだ先で変態集団のトップの居場所を吐かせようという目論見であった。
しかし男は鋭利な刃を防御することも、反撃することもせず、ひらりと身をかわし、超人的な脚力で後方の木の枝に飛び移った。
「逃げるのですか、男らしくない」
「……。貴様にどう思われようと結構だ」
「そうですか」
高低差を利用されては不利になるばかりであった。野薊は左腰のホルダーの、右のものと対象の刃に手を掛け、そのまま前方へと振り上げるように飛ばした。
向かう先は男が立っている枝の付け根。立場を崩した所を畳み掛けるつもりだ。放った刃は想定通りに弧を描き、速度で威力を増して、足場の枝をいとも容易く切り落とし、ブーメランのように野薊の手中に戻った。と同時に走り込み、右の刃を男に叩きつけた。
しかし男を目前とし、野薊の刃は一歩も前には進めなくなった。白羽取りをされているかのようにこれ以上押し切れなかった。
「……。その程度か。つまらないな。非常に退屈だ。死んでしまいたい程に」
おっと、それは困る。生かさず殺さず捕らえてトップの根城を吐かせないことには再び別の刺客と相まみえるか、微かな情報を元に探ることになる。あまり時間は掛けていられない。
よく観察してみると男は特別な能力を持ち合わせている訳ではなく、先程ちらと見掛けた細い糸を両手の指に絡ませて、あやとりのように空間にそれを這わせていた。その緻密さからそれは線ではなく、面であった。繊維を織り込んで布を造り上げているかのように。そしてそれは十分な防具となっていた。
「……。お前、名はなんと言う」
「僕は野薊のぎす。貴方は」
「………………。文華 北緯(ぶんかほくい)」「良い名前じゃないか。東西南北を守る四神のようだ」
北緯の両手が塞がっている今、格好の機会にもう一方の刃を横に薙いだ。しかしそれもまた身体の柔軟性を存分に利用して軽くかわされてしまった。
「……。あまり動くと首が飛んでしまうぞ」
その言葉を聞くやいなや喉仏の辺りに何かが食い込むような感覚を覚えた。たらりと血が首筋を伝っている。
声の方向からすると、北緯は野薊の真後ろにいるようだ。
「……。お前等にとって俺たちが邪魔なように、俺たちにとってお前等は厄介なんだ。害が一致している。どちらの正義がまかり通るかを決めずとも良いのではないだろうか」
「そうできるのなら、僕はこうしてここには来てはいないさ」
「……。強情な奴め。悪魔のようだな」
「そりゃどうも」
野薊は評されたように、鋭い目つきに勝利を確証し、口元を大きく笑わせてご自慢の刃で背面に円を描いた。
北緯が引いていた糸がはらりと切れて、首元の違和感も納まった。
「……。俺はお前を殺す」
驚異の脚力で北緯は再び野薊の前面へと躍り出た。
「僕は貴方にボスの居場所を吐かせる」
売り言葉に買い言葉を野薊は並べた。
大分日も落ち、街灯の一つも立っていない森林の中は暗闇と化していった。
猫のような夜目が利かない野薊にとってはあまり好都合ではなかった。この戦闘を早急に終わらせてしまわねばならない理由ばかりが積み上がる。見える内に、攻撃を仕掛けるまでだ。
野薊は走り出し、刃を腰の辺りで交差させ、北緯を左右同時に挟み込んだ。いくら糸を面にできても左右同時には守り切れないだろうと踏んだのだが、彼の身体能力を計算に入れていなかった。ふわりと跳躍し、空を切り裂いた刃の先に曲芸団よろしく北緯はつま先で立った。
「……。あまり動き回ると怪我をするぞ」
たんっと北緯が刃を飛び降りた衝撃で、右手に持った刃がぬるりと手から滑り落ちた。
開いた掌をひっくり返してみると異様に黒い液体が手を汚していた。そこから鉄の薫りが漂ってくるので、それが血であることがわかった。
程度は右に匹敵せずとも、左腕も同様に切り裂かれたような傷を負っていた。
衣服で血を拭い、刃を拾い上げて、振り向き、北緯を睨みあげると、背中に刃物を押し付けられるような違和感があった。
北緯は目の前に平然として立っている。厳格ささえ取り戻しつつあった。
「まさか――糸を張ったな」
直接には手を下さず、遠くから糸を引く。それが北緯の戦闘スタイルだった。野薊の攻撃をかわしつつ、致命傷を与えられないような細い糸で気を捉え、再び前面に立った時には野薊と北緯を囲うように、木の幹を利用し、糸による面でぐるりと戦闘リングを拵えていた。
しかもそれ自体が触れるだけで切れるもので、その上、時悪くその存在は見えないときた。
背後に張り巡らされた糸に野薊は刃を振り下ろした。ザクザクと刃先が切り進んだのだが、数十センチ先でその動きはまたしても止められた。
目には目、刃には刃。三本の矢。マンボウの産卵数。人間社会。個では微力でありながらも、それらが束になったときには圧倒的な力を備えてしまう。
この無限にも思える糸の束に、野薊のたった二本の刃で太刀打ちできるのだろうか。
かろうじて切ることのできた糸はピアノ線のようにピンと張られていた為に、切っ先から跳ね上がるようにその力を逃して、どこかの幹から垂れ下がった。
野薊はこの試合会場を崩す事を諦め、北緯を振り返ると、彼は憐れな顔をして先程と同様にそこに立っていた。まるで状況を掴めていない者を嘲笑うかのように。
「……。気は済んだのか」
「打破できなくて、ますます強情になってしまった所さ」
「……。熱い男だ……」
その時、微かに目の前で一瞬星が瞬いた。それは太陽が沈んだとは言え、その反射で月が輝いているように、完全なる暗闇というのはこの世にはなかなか存在できないものであって、ましてや自然の中でなら尚更のことであった。
その僅かな光を受けた北緯の糸が反射したのだった。
野薊が後方に気を取られている間、北緯はその陣地に更に罠を張り重ね、確固たる立場を作り上げていた。そこには数本ずつではあるが、洗濯を干すロープのように切れ味の良い糸が何本もぶら下がっていた。まるでレーザーによる侵入者防止策を張られているかのように。
「へえ。随分と防御に勤しむのだな」
「……。身体ではなく脳に汗を流すタイプなものでな」
「まあそれこそ付け焼き刃というものだろう」
野薊は重ねられた罠を些事と判断し、北緯目がけて再び斬りかかった。
「……。愚かな」
リングの中に張られた糸が野薊の肌を傷つけようとした矢先、両手に一振りずつ構えた刃を手元でクロスさせ、それは鋏となり、交点で糸を容易く切っていった。
「……っ」
野薊の行く手を阻むものは姿を消し、そのまま北緯の首を鋏の間に捉えた。
「覚悟しろっ……っ」
その時――突如、野薊は背中を切り裂かれ、その場に崩れ落ちた。
「まだ企んでいやがるのかよっ」
振り返るもそこには何者も居なかった。あるのはやはり糸。それは今、野薊自身が鋏が切り裂いた糸であり、それらが弛み、上方の枝を支点にぶらさがり、風に煽られ、野薊の背中に牙をむいたのだった。
「くそ、全部計算していたのか」
「……。頭脳労働者だからな」
頭脳明晰な者は運動真剣に乏しいと野薊は思っていたのだが、北緯はその両方に秀でていた。運動も頭脳がなければ成り立たないとでも言うつもりだろうか。
二段階ジャンプは流石の北緯でも無理であるが、その脚力で助走をつけなくとも大きく飛躍し、野薊の頭上を飛び越えて再び対岸へと場所を移した。
野薊は肩で息をしながらも、精根尽き果てる訳には行かないのだが、とは言え為す術もない中、北緯の様子を伺っていた。
自ら直には手を下さず、糸を束ねることで防御も攻撃にも応用してくる。
当人と争うには身体距離を離され、その代役として糸が接近戦を持ちかけてくる。非常に厄介だ。 しかし、所詮は糸である。それ自体が何か特別な意思を持っていたり、巧みに動きまわったりはしないのだ。
このリングだって糸を張り巡らせただけである。手先が器用で足が早い人間が為した、熟練された技だ。
考えねばならないのは北緯でもその操る糸でもない。もうひとつ外側だ。
「……。どうした、降参か。では、そろそろ一思いに首をはねてやるとするか……」
「僕には守るべき存在がいる。そしてあの子が僕の返答を待っているんだ。ここで無残にも倒れて悲痛な思いをさせるわけにはいかない」
守るものがある人間の意思の強さよ。
野薊は最後の力を振り絞って立ち上がった。そして両手に刃を携えて、右を放り投げ、続けて左を放り投げた。
「……。何度やっても同じことだ……」
北緯は刃の軌道の先に居たのだが、あっけなく二枚刃を飛び退けた。
その刃はもう野薊の手に戻る孤を描けなかった。辺りに自生した木々の幹にぶつかることでその威力を少しずつ失い、終いにはトントンっとどこかに刺さって止まる音がした。
「……。終わりだ」
丸腰の野薊に対し、北緯は余裕の足取りで近寄ろうとした時、ガサガサと枝が擦れる音がした。その響きはどんどん大きくなっていく。
葉が擦れ、枝が折れ、木はその存在を少しずつ欠けさせながら北緯めがけて倒れてきた。それらは糸で作り上げられたリングの一歩外に生えていた二本の大木であり、野薊が放り投げた刃によって幹の根元を切られ、同時に糸でできた戦闘場を上から切り裂くように倒れたのだった。
そして、リングを作り上げていた、肝心の糸をかけられていた幹は二本の大木の自重を糸を通して受け、その重さに耐えきれず、北緯の真上に覆い被さったのであった。
前後左右を塞がれた北緯は得意の脚力もむなしくその場から逃げ去ることができなかった。
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