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「ああ、懐かしい・・・。」
歩さんが落としていった母子手帳を、お父さんは宝物を見つけたように目を輝かせて拾い上げた。
「すみれ・・・。」
お母さんの名前。
大切そうに呟いた様子に愛情が見て取れて、ぼくは何だかドキドキした。
「すみ、いや、忍のお母さんはとても綺麗で元気いっぱいの人で、当時学生だった彼女を、わたしはすぐに好きになったんだよ。」
促されてテーブル席に着いたぼくに、お父さんは母子手帳を開いて見せてくれた。
「忍を授かった日は嬉しくてね、親子3人でずっと暮らして行くんだと、将来を思い描いては笑いあっていたんだ。」
母子手帳には、小さなノートが挟み込まれていた。
それには、ビッシリと文字が書き込まれていて、引き寄せられるようにぼくは手に取って、ゆっくりと読みはじめた。
お腹の中の赤ちゃんへ。
大切な大切なあなたに会えるのは、まだもう少し先ですね。いま貴方は小指の先程も無いくらいに小さいんだそうです。つわりは苦しいけれど、貴方の存在を感じることができてとても嬉しい。
そうそうお父さんは、今日、貴方のためにオモチャを買ってきましたよ。まだ会えないのに、せっかちさんですね。
手が、震えた。
お父さんは知り合いからベビーバスを貰ってきました。もう、お部屋の中は貴方のためのものでいっぱいになってきました。一間のアパートでは、限界かもしれません。産まれた後に生活するお部屋も考えないといけないようです。
光景が見えた。
古い畳の敷かれた狭いアパートで、身を寄せ合いながら過ごしているお父さんとお母さんの姿が。
お父さんと貴方の名前を決めました。
名前は“忍“
困難を乗り越えて最後までやり通す強さを持って欲しいという意味があります。
ドキッとした。
ぼくは逃げてばかりで、お父さんとお母さんの気持ちを台無しにしていたのだ。
大切な大切な忍。
お父さんとお母さんと3人で、素敵な人生を歩みましょうね。
希望に満ちたそのノートの結末を知っている。
お母さんは車に轢かれて死んだのだ。
そしてお父さんは、ぼくに会えないままずっと過ごした。
涙が出た。
お父さんとお母さんから、ぼくはたくさんの愛情を貰っていた。
そうとは知らず、ぼくはおばあちゃんの言うままに、父親という存在を疎ましく思っていた。
忍、ごめんなさい。
貴方からお父さんを奪います。
これはお母さんのエゴです。
「・・・な、にが・・・。」
お父さんの大切な方の勧めを後押しする、お母さんを許してね。
涙の跡が残ったノートは、その当時のお母さんの苦悩が窺えた。
「わたしの恩師が、自分の娘とのお見合いを薦めてきたんだよ。」
ああ、ああ・・・。
そして、お母さんは身を引いた。
「お父さんの力不足だったんだ。お母さんを引き止められなかった。」
肩を引き寄せられて、抱きしめられた。
知らないはずなのに、なんだか懐かしい匂いがして、涙が止まらなくなった。
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