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鰻
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次の日は、朝は大浴場をもう一度だけ堪能してしまったので、昼近くになってからやっと、大移動をした。
流石に、駅前のホテルからは歩いていけないので、かつて刀鍛冶の集落があったというその場所まで、バスで行く。そこは、観光地として、今は栄えて、さばけた場になっていた。
途中、青い山の連なりが見え、俺はちょっとテンションが上がった。
ルカも、まるで目に映るものは何でも珍しいから逃さず見ていたいというように、バスの中から景色を眺めていた。
刀鍛冶の里に着いて、まず行ってみたのは、博物館だ。
今では、たくさんの刃物の会社や工場が、そこには建っていた。
その中にぽつりと小さく建っているミュージアムに、まずはお行儀よく入って、その里の歴史やなんかを調べていた。
俺なりには、この旅にはテーマがあって、それは、小説のネタになりそうなものを探すということだった。でもいざ行ってみると、ルカと一緒になって、ただただ自分が知らない歴史を肌で感じて、圧倒されているだけだった。
「なんかすごかった。」
と、館を出て、ルカに話しかけると、ルカは、
「うん。…お土産に何か買いたいな。」と言うから、
包丁や爪切りなど、刃物がずらっと並んだ物産展へ入り、何か買おうかと見て回った。
ルカは、料理が好きなので、一人、包丁をじっと見ている。
でも、いいものなだけあって、値札を見るととてもじゃないが購入できる値段じゃない。
それでも包丁から目が離せないルカのために、俺は一つ奮発して、小さな果物ナイフを買ってプレゼントした。
「えー、いいの?ありがとう。」
と、戸惑うルカ。
「これなら、家で果物剥く練習ができるだろ。」
と言いつつ俺は、最近、ルカが働いているカフェで昇格し、果物のカットの難しいのなんかも任されていたのを思い出していた。
ルカの最終目標は、自分で考えたメニューを店で出すことだそうだから、まだまだ、そこに比べたら小さな一歩かも知れない。
でも、俺はその進歩にささやかなお祝いの念も寄せて、自分の、この先一か月分の小遣いを使い果たした。
「このデザイン好き。大事にする。」
と微笑むルカの表情は、幸せそうだった。
もう昼過ぎだったので、ルカが旅行雑誌で調べてくれていた鰻屋へ入った。
午後十二時から開店するらしいそこは、盆休みで実家であるここへ帰省している若い家族と、帰省元の老人たちが混じった親戚のグループが長い行列を作って待っている。
その雰囲気に、自分の実家を思い出した。
…いや、家の実家って、もう少しギスギスしてるような。…
俺は優秀だけれど俺を見下してくる兄貴と、めちゃくちゃ年が離れていて、物心ついたころにはお嫁に行ってしまったねぇちゃんのことを思い出す。
両親は、悪い人たちではないけど、兄貴にばかり期待を掛けていて、勉強ができるわけでもスポーツ万能でもない俺は、よく忘れられていた。
…祖父母なんて、あまり会わない。他人行儀なものだ。
だから、店に入っても、少し羨ましげに、仲睦まじげに親戚同士で会話を楽しんでいる地元の人たちを眺めていた。
「かわいいね、子供って。」と、ルカが言って、はっと我に返る。
「そうかな。」
ルカは、母子連れでお子様ランチを食べている家族を、じっと見つめていた。
「そういえば、ルカの家って、どんな両親がいるんだ?」
と聞いてみる。
俺は、よくルカの家に行くとお菓子作りを手伝わされていたが、ご両親に会ったことはなかった。
「いやもう本当に、凍り付いた家庭だから。そこは触れないで。」
と言った後、ルカは俺に、
「僕は、ゲイだけど子供欲しいんだよなぁ。ハルは?」と聞いた。
「いや、まだ全然考えてなかった。」
何も考えてはいなかった。俺からしたら、俺自身、子供みたいなものなのに、子供を持つなんて、考えられない。でも、ルカは、ちょっと視野に入れているらしくて、俺は、めんどくさいなぁ、と、正直なところ、そう思ってしまった。ルカに懐く子供に嫉妬しそうで怖い、自分が。
バスで関市を離れ、今度は美濃へ向かった。
ここは、和紙を名産としていた町だ。
和紙は、水が奇麗なところでしかできない。
この町も、水が奇麗なのだから和紙の名産地になったんだろう。
今は、芸術家の街だと思った。
色々なところから彫金とか素材にこだわった服作り、それから、アクセサリー作りをしている人など、様々なクリエイターたちがやってきて、古い旅館や古民家を借り、その中で創作物を売っていた。
俺は、普段世話になっている編集さん(この人も筋金入りのSFファンで、俺の作品をビシバシしごいてくれる)が、どう考えても好きそうなネクタイピンがあったので、お土産に買っておいた。
「いいね。」と言いながら、時折店に入ったりしながら、ルカはどんどん歩いて行ってしまう。
俺は、インドア派なので、こういうところに来ると置いて行かれがちだ。
「待てって。」
ルカは、いわゆる観光ゾーンから外れて、市街地まで入って行ってしまう。
襟首掴んで引きずり戻したほうがいいのではないか、と思い始めたころ、団地を抜けて、森へ出た。
「この先に遺跡があるらしいから来ていたんだ。」
と、ルカは言う。
「ごめん、俺てっきりお前が当てもなく徘徊しだしたのかと思って、慌てた。」
「…ひっどー。僕、ハルさんの小説に良い影響があればって思ってここに連れてきたのにー。」
「そうだったのか。知らなかった。」
遺跡は、森の奥にあった。
崖が切り立っていて、立て札には、昔崖下の洞穴で縄文人が暮らしていたらしくて、土器が出土したのだと書いてあった。
「なんかこういう岩の裂け目を潜ったら、原始世界にタイムスリップしちゃいそうだよね」とルカが言う。
「SFか、マンガの読みすぎだろ、」と言いつつ、抜けるように肌の白いルカが森の中で佇んでいると、原始時代でなくても日の色へ溶け込んで消えてしまいそうな気がして、俺はルカの手を握った。
いや、成人男性なのが森の木漏れ日にさらわれて消えてしまいそうに感じるなんて滑稽なことで、やっぱり、ルカに恋をしているからそう思うだけなんだろうけれど。
「なんでいきなり手をつなぐの?」
と訊くルカに、
「こうしてないとお前はふらふら、どこへでも行っちゃうから」と答えたのは照れ隠しで、ルカはそんな俺の真意など、知る由もない。
森の反対側へ出ていくと、川があった。ここでもまた、鰻屋と同じように家族連れがいた。
子供たちが川の中で泳いだり歩いたりして遊んでいて、それを、自分も泳いだりしながら、父親や母親が見守っている。
そののどかな光景に、胸が華やぐような、微笑ましい気持ちになる。
いつか、本当にいつになるのかわからないけれど、養子をとるかどうかして、ルカと家族になるのもいいかも知れない、ルカがそう望むのなら。
「あ、雨。」と、ルカが言った。
俺も、ポツポツと上から降ってくる水滴を感じた。
「雨宿りするぞ」と、ルカの腕を引っ張り、道の駅へ向かう。
中へ入ると、同じようにしてたくさんの人たちが雨宿りをしていた。
二人で席に座って、わらび餅を食べた。
食べている間に、外の景色はどんどんと水かさが増して、雷も鳴り出して、なんだか不安になった。
その中、道の駅のテレビの中で笑点だけは愉快で上機嫌に放送されていて、それがいくらかの救いだった。
ルカなんかは、雷がとんでもなく怖いみたいで、俺に縋りつくようにしていて、それはそれでいい、とかのろけそうになったけれど、やっぱり怯えてるのは可哀想なので、笑点でだいぶ、助かった。
雨上がりの美濃は、なんだか山間に霞が掛かって、神さびて見えた。
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