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金木犀
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結局、夏はあの泉に行ったきり、どこにも二人で出かけることはなかった。俺は、宇治原について知る機会を一つ失ったわけだ。…不思議と、残念がっている自分に気付き、嫌だと思った。身柄を買われたからといって、宇治原になびきたくなどないのに。
それでも、俺は少しずつ、宇治原を好きになっているような気がしている。
あれから、軽くデートはしている。昼間だけ一緒にいるタイプの、さわやかなデートだ。
宇治原との沈黙は、心地がいいことに、最近俺は気付いている。エスコートしてくれる穏やかな腕にも、人をそらさない笑みがたたえられた顔にも、だんだんと俺は、馴らされている。野生の動物が餌付けされるみたいに。そう、これは、餌付けだ、と、俺は思う。
宇治原のそばにいる限り、俺には心地よい安心感というエサが与えられる。そうして俺はいつしか、宇治原が思うように彼のそばに控えている人間になるまで馴らされるのだろう。そうなっても悪くないとさえ、最近は思う。
だけれど、こんな突拍子もない寵愛がいつまでも続くものなのかわからないという、不安が俺の胸には渦を巻いていた。
両親でさえ、俺を棄てたのだから。いつ宇治原に棄てられても、不思議じゃない。それでも、自ら彼の前に身を投げ出したくなるくらいに、宇治原は魅力的で、傍にいると安心できるようになっていた。
真の強者は、弱いものが自ら身を投げ出したくなるような力をさえ、持っているのだ。そう、やはり、弱肉強食。基本は。
本当なら、宇治原とは、友情で繋がりたかった。でも、宇治原の視線の意味するものは恋愛であり、なんと俺みたいなのへの憧憬だ。このことが、俺の意思に反する。嫌だ。恋愛は、まだわからない。友情が含まれない恋愛感情なんて、なんだか俺はいやだった。
宇治原に「一緒に住まないか」と言われた。
それが、どこまでを包括した意味なのか、俺はわからなくて返事に詰まる。聞いてみればいいのかもしれないけれど、何となく、怖くて。
「…まだ、出来ません。」と俺は答えた。答えてから、後悔した。
うやむやな答え方ばかりしていれば、俺はそのうち、飽きられてしまうかもしれない。それが苦しい。棄てられて、どこかへ売り飛ばされてしまうのが怖いとかではなく、ただただ、宇治原に会えなくなるのが、苦しいと、そう思った。なんだこれは。まるで、恋にでも落ちたかのようじゃないか。
「無理にとは言わないよ。」と宇治原は答えた。暖かく優しい口調だった。それでも俺は、不安になってしまう。でも、簡単に懐く気にはどうしてもなれない。裏切られたらと考えたら、立ち直れないようなリスクを負いたくなかった。
…なぜ、こんな時に宇治原のことを考えているのだろう。
今夜は、ヒートが来ている。体が熱く火照って、おかしくなりそうだ。自分でもわかるくらいに甘ったるい匂いが体中から漏れていて、まとまったことは何も考えられない。それなのに、断片的に宇治原のことを考えている。あの声を、腕を、横顔を思い出している。
「宇治原さん…っ」小さく呼びかける記憶の中で、宇治原の睫が彼の緑の眼のふちに影を落としている。
今日は、会えない。誰にも。こんな状態では正気を保つのは難しくて、俺の体は愛撫を求めていて、出会った人誰にでもだらしなくそれを求めてしまいそうだから。宇治原には、一番会えない。こんな俺を見られたくない。まるで動物のように身悶えているこんな俺を。
真の強者は、俺の卑小なこの欲望を、理解できないだろう。宇治原に気持ち悪がられることが、一番生きていて怖いと思う。思いながら、俺は宇治原の幻覚を夢見ている。こんなにも情けない、気持ち悪い俺をさえ、宇治原が優しく抱きしめて、その欲望をかなえてくれる夢を。生々しい俺の繁殖の力を肯定してくれる宇治原の幻影を。
涙がこぼれて、目の前の秋めいた月が滲んだ。
宇治原も同じ月を見ているのかもしれないが、別の月を見ているかもしれない。この星はかつて人間が住んでいた地球ではなく、俺たちは男という性別上、地球でかつてはこんな関係になどなりようがなかった者同士だ。
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