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戦後、言葉から日本を変えるという思想にもとづき、国家は文筆に携わる者を召集した。土石流のようになだれこんでくる外来語、根強く残る方言の撤廃、身分の違いによる言語の格差、原文一致運動、更にその反駁、そもそも国語とは。代々辞典を作成し、出版業界を牽引し、そうして暗躍してきたのが角川家だ。あえて教科書は作らず、大衆受けのする本ばかり出版しているのが賢い。そうやって、彼の曾祖父から父親に至るまで、今のところ国策と商売は上手くいっている。
「ま、そんな話はいいんだよ。俺は礼介と宿題をやりに来たんだ」
また彼はこちらを見た。見下ろすのも心地悪く、僕も椅子から畳の上に滑り落ちる。
「着物なんて旧時代的な服装をするなよ、若者」
「こっちのほうが楽なんだよ」
「……洋服だと体型出るから嫌なんだろ?」
図星を突かれて、僕は顔を背ける。目解家の人間は皆、長身痩躯である。均整が取れていればまだ見ていられるが、僕の場合極端に脆弱なのだ。昔から兄と散々比べられ心配され可哀想がられてきたからよく分かっている。うるさい。ほっとけ。
「ほんと、女みたいな腕だな」
手首を掴まれて、着物の袖が重力に従って落ちる。棒のように長いだけの腕はさらされた。やめろよ、と苛立ちを露にして僕は手を引っ込めた。
「すまんすまん。でもそうやって部屋でじっとしてちゃ、肉もつかないぜ。肌だって、色白を通り越して透けそうだ。明日は学校来いよ」
「いいんだよ、もう。僕なんて……」
「馬鹿野郎。俺が千賀先生に叱られるんだよ。課外学習でお前とペアなのは先生様のご要望だ」
「課外学習なんて、僕たちには何の意味もないだろ」
学生の身分でありながら、実際にそこで働く大人達に混ざって、仕事の真似事をする。そんな宿題は本来早く一人前扱いしてほしい学生からすればご褒美なのだが、家業を継ぐ身としては億劫以外の何物でもなかった。どうせどこで、何をしたのか、一切明かせぬのだ。兄のように、ただ一日の予定を公務、公務、公務……と書き連ねて提出するのみになる。懸念事項としては、兄がやればなんやら正当性を持って見えたそれも、僕が同じ成果物を出したら、単なる手抜きと思われないか。
「あるさ。絶好の機会じゃないか」
目を爛々と輝かせて、罫は言った。
「俺はやりたいことが沢山あるんだ。どれも却下されたがね。キャバレーのボーイ、バーテンダー、役者」
「それは当然駄目だろ」
「他にもあるさ。映画監督、スタントマン、鉄道の車掌、鳥人間」
「鳥人間?」
「飛びたい」
「飛行機乗れよ」
「馬鹿だな。機械に飛ばされるんじゃないぜ。人間が自分の力で自由に空を滑空することに意味がある」
解説は両手を用いて始まり、そのうち彼は立ち上がって大演説を始める。幼稚だと一言で馬鹿に出来る所業…………けれど僕には、なんだか彼が眩しく見えたのだった。
「………ま、夢語りはこの辺にしておいて、」
と彼はしばらくして落ち着いた。
「せっかく礼介と組むんだから、どうせならお前も楽しむものがいいと思ったんだ」
旭日章は苦手かね。格好つけて彼は僕へ手を伸ばす。大嫌いだ。口はそう動いたのに、僕は彼に手を重ねていた。
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