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人魚の祠へは、神事の際は船で行くらしい。
その方が安全だというのだが、爽にはピンとこない。
ただ、当然ながら海というものに抵抗感のある爽を伴うわけだから、雅は陸側から行くことにしていた。
爽を助手席に乗せた雅が車を未舗装の細い道へと進ませる。
爽の目にはどれが道だかわからないところを、背の高い草を掻き分けて走る車は地面の凹凸に合わせてきしみ、音を立てて揺れる。
見たことは無いが獣道とはこういうものなのではないかと思い始めた爽は、しかし、舌を噛みそうなので黙っていた。
そして、車が止まり雅に促されて爽が降りる。
ぐるりと見まわすと、自分が海を見下ろす高い位置にいることが分かった。
確か祠は満潮になると波が打ち寄せる場所にあると聞いた。
しかし、海面までは遠いように見える。
どういうことだろうかと不思議に思っていると雅が、ある方向を指さして言った。
「これ、下るんですよ」
「は⁉ これを⁉ 無理だろ!」
錆びて曲がったガードレールの切れ目からのぞき込むと、崖と言いたくなるほどの勾配に張り付くようにして、道と言えなくもないものが存在しているのが目に入る。
急な下り坂には踏み幅も段差もバラバラな階段が細い丸太で作られていて、手すり代わりのロープが坂の片側に、立ち木を利用して渡してある。
「じゃ、やめますか?」
なるほど、靴下をはいてスニーカーで、と言われた意味が分かった。
波打ち際なら濡れてもいいようにビーチサンダルで行こうかと考えていた爽に、足をしっかり守れる靴を履けと雅が言ってきたのだ。
不思議に思ったが言われた通りにした。
確かにこれを下るのはビーチサンダルでは無理だろう。
「…行く」
先が見えない道の奥を見つめながら、逡巡していた爽が、しばらくの間をおいて答える。
「じゃ、行きますよ」
そう言って先を行く雅を爽は追った。
足元が悪いと聞くと雨の中を傘をさして歩く様子を連想するが、ここはまさに“足元が悪い”状態だ。
急勾配というだけではない。
湿った土と、所々に顔を出す岩は滑りやすく、ロープは切れる心配は無さそうだがゆるみがあるので頼りない。
握力検査でもしているかのようにロープを握り締め続け、足元に集中し続け、転ばないように足には力を入れ続け―。
疲れなど感じている余裕は爽には無かった。
一方の雅は、夏の海に自ら近付こうとしている爽の心を心配していた。
しかし、爽はそれどころではなかった。
悪路が幸いした。
ひたすら転ばないように集中しながら足を運ぶ作業に没頭していたため、海に近付くことを忘れ、と言うより気を配っている暇が無かった。
ただただ、坂を下ることにのみ意識を向ける。
だから、海に近付くと自分はどう感じるかとか、自分はそんなに近付けるのかとか、考えている余力は無かった。
おかげで気付けば波が岩を洗う場所まで数歩と言う状況。
この先に祠はあるという。
「気を付けてくださいよ」
雅が手を差し出す。
爽はその手を取って、海水に濡れた岩の上へ足を踏み出した。
波をかぶっているわけではない。
しかし、自分は今、海水で濡れた岩を踏んでいる。
靴の裏を海につけている。
爽は足元に集中していた。
しかし、先程の下り坂ほどには集中力を要さない。
だから考え事をする余力があった。
だから気付いたのだ。自分は今、海を踏んでいる、と。
ああ、そんなことができるんだな、俺。
嬉しくなって顔を上げる。
前を歩く雅はしっかりと爽の手を握っている。
こいつといると怖くない。
爽は足を止めた。
雅が振り向く。
「ありがとう」
爽は自然と微笑んでいた。
静かに、穏やかに。
「お前となら大丈夫って思える。俺に自信をくれてありがとな」
爽の無垢な微笑みがきれいで、雅はしばし見とれる。
「お前がいれば怖くない。怖いものも克服できる。だから、ずっとそばにいてくれ」
波の反射で光が散って、爽の儚げな表情がハレーションを起こしているように見える。
そのまま光にのまれて消えてしまいそうで、雅は慌てた。
ぐいっと繋いだ手を引き、爽を引き寄せる。
「潮海?」
縋るように雅が爽の体に腕を回し、
「驚かせてすみません。海に溶けそうで怖かった。爽さんがどっか行っちゃいそうで」
その腕に力を込める。
「どこにも行かないでください」
「行かないよ」
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