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BPM128
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長く、深く響くG音。
左手の指一本で鳴らすストリングスの音色は上下オクターブをはらんでメインスピーカの回路へ出力される。
カウント。
息を吸って上段の鍵盤にスタンバイさせた右手が無意識にしなった。
チェンバロの音色を叩き込む。照明が変わって辺りが眩い光に包まれる。+5で鳴るメロは誰もが知るクラシックの名曲で、そして、場内にいる観客にとってはまた別の意味を持つこのバンド出世ナンバーのイントロ。
コータのギターがピックスクラッチで爆音のノイズを奏でてクラシックの名残を切り裂いた。
歓声。
光の、洪水。
フットスイッチでチェンバロをピアノに切り替え、サポートドラムの徳さんと目配せ。
徳さんの正確無比なリムショットは打ち込みの回路で点滅するBPM128のLEDと寸分の狂いもない。
そして、ヒロがマイクスタンドの前に立つ。
――ヒロが息を吸う、音が聴こえた。
生の、声。
マイクを通って電気信号に変換されて。
場内の空気を振動させた。
ハレルヤ
ラック越しに見えるステージ上ではヒロとコータが背中合わせに腰を振っていた。
俺はいろんな機材に囲まれた通称「要塞」の中からセックスにも似た二人のそれを眺め、乱暴にピアノを打ち鳴らしてコータのギターリフに喧嘩を売る。
鍵盤は打楽器だ。
グリッサンド多用の高音から低音までをデタラメな早弾きで奏でて、ラックが撓む程の強さで和音を叩き込む。
コータは後ろを振り返ることなくオーバードライブのノイズで応戦する。心地良さそうに揺れる上半身と傷みすぎて色味の分からない長髪から汗が散って、あらゆる角度から照射されたライトに反射していた。
間奏ラスト4小節で二人の身体が離れる。名残を惜しむことなく互いの立ち位置へ戻っていく。ヒロがスタンドの前に立つタイミングで俺は再びストリングスに切り替える。
ヒロの声がG音から始まるロングトーンを張る。
ドラムはもうスネアが鳴っていなくて静かにハイハットでリズムキープ。
コータが合いの手にも似たメロを優しく歌い上げ、そこに俺は再びあの有名な曲のコードを重ねる。
ヒロが息を継ぐことなくhiBへ駆ける。
ベースとギターがカッティングで刻むリズムにドラムがフィルインして、ヒロの声は上昇していく。ファルセットではないミドルの、力強いhiD。
振り絞る。
絶叫。
絶頂。
カットアウト。
ヒロの声に掛かったリバーブの残響を残し、全ての音が遮断される。
観客も、
誰も、
何も、無音。
無音。
無音の中で俺はイヤモニから鼓膜へ流れ込むクリックを聴いていた。
同じ音を聴く徳さんの手元でスティックが僅かに上がった。
ヒロの後ろ姿がマイクスタンドを抱いて丸くなった。
静かに、悪魔が囁く。
高低差2オクターブの低音でヒロが歌い始める。声はまだ下へ。優しい悪魔がステージの中央で俺に背を向けてオーディエンスに語りかけていた。
自分勝手に鍵盤と弦を鳴らす俺ら二人を纏め上げていたヒロの声は何処にもない。何者にも縛られず、ヒロは俺とコータを置いていく。
ヒロに魅せられ、誘われるようにコータがアルペジオを爪弾き始める。
もう喧嘩腰ではないストリングスの単音で空間を埋める。コータと目が合った。
ヒロがラストノートを歌い上げる。
コータの手が止まり、後はフィードバックの残響。
辺りは青く包まれる。
歓声がこちらの音圧を上回る。
きっとヒロは目を閉じているだろう。
俺は徳さんと視線を交わし、鍵盤に指を載せたままシーケンサーをとめた。
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