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【三歩】-25
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幸平は空になったマグカップを二つ、台所のシンクに置いた。軽く水で濯ぎ、泡立てたスポンジでこする。先に置いてあったコーヒーメーカーも一緒に洗うと、横の水切りに伏せて置いた。
「昨日調べたんだけど、近くにリサイクルショップがあってさ、出張で家具以外に家電の引き取りもしてくれるんだって。これで一気に片付くと思う。それと不動産屋に連絡して、部屋の掃除もしなくちゃだな」
「掃除機持ってくか?」
「あーコードのやつ?いや、いいや。電気はもう止めちゃってるからフローリングシート持っていくよ。あ、ゴミ袋だけ忘れないようにしないと」
一気に捲くし立てた後、胸の奥がツキンと軽く針で刺したように痛んだ。逃げるようにして家を出た時に、電気もガスも止めていた。水道だけは解約しなかったが、あの家にはもう戻れないと、心のどこかでわかっていたのかもしれない。自分の矛盾した行動に、せっかく落ち着きを取り戻していた心が激しく揺すぶられるのを感じた。
胸を押さえてしゃがみ込む幸平の元に、智明が駆け寄ってくる。近くにいるんだからわざわざ駆けてくる必要もないのに、どんな時も智明は全力だ。
「無理してるんじゃないのか?別に今日じゃなくても……急ぐことはないんだからゆっくり片付けたらいいって」
「あぁうん、悪い。それでもやっぱり早いうちがいいから……今日付き合って。大丈夫だから」
幸平は瞼を閉じて深く息を吸い込むと、肩を支えていた智明の手をそっと外して、鼓舞するように「よしっ」と立ち上がった。
立てた予定は順調に片付いていった。家電は金にならないものもあったが、全て引き取ってもらうことにした。明日には不動産屋の人が大家さんと一緒に破損などのチェックに入るという。
何かと世話になった大家さんには最後にひと言礼をいいたかったが、仕事が休めず断念した。立ち会えなくてもチェックの方は勝手にやっておいてくれるらしい。大家さんのところにはまた後日挨拶に行こうと智明と決めた。とりあえず何かあったらそのときは連絡が入ることになっている。
部屋が空っぽになると、急にここが知らない場所のように感じられた。長いこと住んでいたはずなのに、愛着のあった物が一気になくなって、部屋から温かみが消えた途端にただの箱になってしまったようだ。
わけもわからず涙は溢れてきて、次から次へと零れ落ちていった。綺麗に拭いたばかりの床に水滴がぽつぽつと小さな水溜りをつくっていく。
「ほら」
智明が差し出したタオルを幸平は黙って受け取った。しかし幸平がそれで拭うよりも早く、智明のシャツが幸平の顔から水滴を吸い込んでいってしまった。
「大丈夫、俺たちは何も変わらない」
何かのおまじないのような智明の言葉を幸平は口の中で反芻した。
――大丈夫、俺たちは何も変わらない。
知らないうちに声に出ていたらしく、智明は幸平の呟きに何度も頷いては「そうだ、大丈夫」と相槌のように繰り返した。
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