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✽日本一高い建物から見たいもの✽ 2
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窓も大きくない薄暗い石の段々を意気揚々と上って行く。煉瓦の壁は厚く、まるで穴蔵のよう。蝸牛の殻の様に渦を巻き、際限なく続いている階段を見上げ那由多は脚を止めてトントンと腿を叩いた。
あと何段あるのやら。先ずは一番上に行ってみとう御座いますと近衛にお願いしたが、日本一を銘打っているだけある。膝が笑うてしまいそうだ。
「はは、もう一踏ん張りだ!頑張れ!」
近衛の言葉にへらりと笑うてみたものの、正直に嫌だと言うのは憚られるし、折角ここまで上って来たのに何も見ずに下りるのも口惜しいかと渋々歩み始めた。
せかせか上がるから疲れるのやも知れないと、壁に貼ってある芸者の写真を眺めながら歩く。
「流石、この東京百美人も柳橋と新橋の芸者が多う御座いますね」
「ああ、そうやも知れんな」
近衛の目では書かれている見世の所在地や名前はおろか、写真もはっきりとは見えないが、言われれば納得であった。
と言うのも柳橋と新橋は柳新二橋と称されており、花代も一番高いからだ。特に柳橋は花街では別格の存在であった。同じ柳新二橋と称された新橋の芸者達でも、座敷に共に上がれば柳橋を立てるのが習いだという。
柳橋、新橋、芳町、赤坂、神楽坂、浅草は東京六花街と言われているが、場所で花代は違う。
一等地と言われる柳橋と新橋は花代1円。二等地 であった燦然楼がある芳町は80銭。三等地の烏森、浅草は50銭で、四等地の神楽坂は30銭。五等地の赤坂、向島等はそれ以下だ。
そして那由多の様に見世で人気を博す者の花代は何処であろうと破格だ。
(...おや、この方は、)
那由多は【芳町・繁松】と書かれた一枚の写真の前ではたと足を止めた。
「......どうした?」
「いえ、こちらの国久屋の繁松様と酒宴でご一緒した事がありまして」
「そうか。......何が可笑しい?」
写真に顔を近付け良く見てみると那由多がくすくすと笑い出し、近衛は分からない顔で見つめた。
「ふふふ、申し訳御座いません。こちらの繁松様が佐之助さんにお熱だったのを思い出しまして。佐之助さんは芳町では有名なんです。陰間だけでなく、遊女や芸者もその手操りを味わうてみたいと、佐之助さんを見ると皆様色めき立つんですよ」
「はは、男の誉れだな!」
日本橋区にある芳町は江戸時代から遊廓が設置され繁栄を極めていた。しかし、江戸市域の拡大や明暦の大火により浅草への遊郭移転がなされ、その後歌舞伎の芝居小屋が立ち並ぶようになった。歌舞伎の若衆と呼ばれる10代から20代初頭の当時の役者が男娼を兼ねていた事から陰間茶屋が生まれ、それが後の芳町花街の始まりであった。故に今も東京六花街の中でも芳町は陰間茶屋が多く立ち並び、燦然楼もその一つだ。
(......息災だろうか、)
燦然楼に三度足を運んだものの、佐之助にはちらとも逢えはしなかった。息災なら良いのだがと那由多は佐之助に思いを馳せ小さく溜め息を吐いた。
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