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決裂
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庭に出る頃には日が傾いていた。師匠はベンチに腰かけたまま寝入っていたらしい。
「師匠、部屋に戻りましょう」
声をかけても起きない。担ぐしかないかと師匠の腕をとると、目蓋がそっと開いた。
「……ああ、また寝ていたのか」
ローリエはぼんやりと庭の花に目を向けた。ここにも白のアネモネが植えられている。母が好きだった花だからと、師匠は毎年丹精を込めて花壇の手入れをしていた。
「私が死んだら、庭の花を墓に添えておくれ」
「そんな、師匠……縁起でもないことを言わないでください!」
師匠は老いたとはいえ、まだ寿命で死ぬような歳ではない。原因不明の眠り病さえ克服できれば、まだまだ生きられるはずだ。
「いや、自分でもわかる。私は長くないと」
「そんなはずないです、治す方法を見つけます、だから諦めないでください……!」
師匠は聞き分けのない子どもをあやすように微笑んだ。
「……もう夕方か。腹が空いたな、食事にしよう」
食欲はあるらしい。ホッとして立ち上がる師匠の手を取った。
「なににしましょうか、よく煮込んだポトフなんてどうでしょう」
引っ張った師匠の体はバランスを崩し傾いていく。とっさに抱き止めた体は予想以上に軽かった。
「師匠、ローリエ師匠……!? 寝てる」
呼吸はしていると安堵の息を吐いた。話の途中で急に寝たのははじめてだ。
背中に担いで師匠の部屋に連れ帰る。ベッドに寝かせて、骨張った手を握りしめた。
窓から差し込む日差しが、角度を変えて長くなっていく。暗くなっていく部屋の中で、動けないでいた。
(死なせたくない……こんなことをしている場合じゃない)
これ以上待っていても、状況は悪くなるだけだと顔を上げた。居間でくつろいでいたラズに声をかける。
「ちょっと出かけませんか」
「いいぜ、買い出しか?」
「違います」
理由を言わずに誘っても、ラズはついてきてくれた。ひと気のない公園まで連れていき、話を切り出す。
「ラズが家に住み始めて、もうひと月が経ちますね」
「ああ、そうだな」
「一緒に住むという願いは実現したんじゃないでしょうか。次は僕の願いを叶えてください」
もう無理矢理にでも願いを叶えてもらうしかない。拳を握り締めながらラズの反応を見守った。彼は顎をさすって考えているようだ。
「いや、まだ満足してない」
「じゃあ、どうすれば満足してくれるんですかっ? なんでも差し上げますから、だからどうか師匠を助けてください……!」
「うーん……いらない」
「は……?」
「願いを叶えてほしいって理由でくれる物を、サーシェからはなにも受け取りたくないんだよ」
急に空が暗くなった。ちょうど日が沈んだらしい。木々の輪郭が曖昧になる。ラズの表情もわからなかった。
いらないだって。それじゃあ、今までなんのために。このまま死んでいくのを見ているしかないのか。
踵を返して駆け出す。呼び止めるラズの声がしたけれど、足を止める余裕なんてない。
(そうだ、ポトフを作ろう。師匠の好きなジャガイモをたっぷり入れて、お肉は柔らかくなるようにコトコト煮込んで、それで……きっと食べたら元気になるはず)
台所で鍋をかき混ぜていると、背後からラズが声をかけてくる。
「サーシェ、怒ったのか?」
いつものからかうような口調とは違い、うかがうような声音だ。機嫌をとらないと……いや、もう意味ないんだった。
「……今は、ラズの顔を見たくない」
正直な気持ちを告げると、しばらくしてから去っていく足音が聞こえた。胸がじくじくと痛んで、鼻がツンとしてきたけれど、とにかく手を止めずに煮込み続けた。
その夜、師匠は深く眠ったまま目覚めなかった。
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