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恐慌
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伯岐が攫われた。その知らせを叔成から受け取った私はいてもたってもいられず途中で人を呼び邸に戻ることにした。馬車を飛ばすよう命じて乗り込む。普段よりも相当揺れるがあまり気にはならない。とにかく気が急いて仕方ない。
邸につくと、そこは大騒ぎになっていた。怪我をした者、死者も出ているらしい。
「叔成。これは一体どういうことなんだ」
「鄭大人……。二人の賊が押し入って、血雲殿を……担いで出ていくのを見ました……。死人は警護していた私兵が五人、怪我人は……その、瑶元殿が大怪我を……!」
「瑶元が?」
攫われたとて、私にはただ伯岐の無事を祈ることしかできない。権力や財力を持っていても無力だと実感する。
しかし、どうも私兵たちだけを狙って殺しているらしいはずの賊に、なぜ瑶元が大怪我をさせられたのだろうか。遥元の容姿では私兵に見えないはずだろう。
「奥方様を庇った、そうです」
「あれを、か……瑶元には会えるかな?」
「奥方様がつきっきりですが……」
その言葉を会えるという肯定だと捉え、瑶元のもとに案内させる。そっと、音を立てずに扉をあける。遥元は胸部に痛々しい血のにじんだ布を巻き蒼白い貌をしている。そしてあれが……瑶元の手を持ってすすり泣いていた。
「元兄、死なないで……わたくしは……!」
「君は、どうしたのかな」
はっとして振り返る私の正妻は、瑶元を聞いたことのない名で呼んでいた。
「瑶元は君を庇ったそうだね」
「……あなたは、元兄がなぜここに居るのか、御存じですか……?」
「興味がないな。才能があるからここに居る。私にはそれで十分だ」
涙で真っ赤になった顔など、初めて見たのではなかろうか。不覚にも、少しばかり、可愛いと思ってしまった己がいる。こんなことになっているのに。伯岐は攫われたというのに。
「元兄は、私がここにいるから、碁の名手になったのです……」
「……それで?」
「わたくしが鄭家に嫁ぐと知って、元兄は……どうしても諦められないと、どうにかして傍にいるからと……でも、わたくしは、本当に貴方を……!」
「……よかったじゃないか。私は君たちを邪魔する気はない。私は君を、愛してはいないんだ」
「鄭、大人……あなたは、いつまで、この子を傷つければ気が済むんだ!」
いつの間にか起き上がった瑶元が私を睨んでいた。その瞳は、愛に燃える男の目だった。そんなことを言われても、私には伯岐だけなのだ。そこに理屈などない。好きでもない者に愛情を注ぐほど、私は心の広い人間ではないのだ。
「瑶元。君は見たんだろう?賊を」
「……二人組で、一人は相当身軽。もう一人は……大きな曲剣を腰につけていた。顔は隠れていたし、それ以上はわからん……」
苦々しく言う瑶元に溜息をつく。やはり、か。どうやら簡単な相手ではなさそうだ。早くしなければ、伯岐の身に危険が及ぶ可能性もある。こんなに早く、危機が訪れるとは思わなかった。
「鄭大人、書簡が……」
叔成が持ってきた書簡には、黒い羽根がついていた。何を意味しているというのか。伯岐の彫り物は裸に剥かないかぎり知らないはずだろう。意を決して開いてみる。文体や文字の形に震えが止まらない……。これは、間違いない……。
「兄上……」
つぶやいた声は幸い誰にも聞かれていなかったらしい。そこにはただ、『お前の身近で大切なものをすべて奪う。手始めは細君とお前の囲う愛妾だ』とだけ書かれていた。
おそらく……愛妾は攫い、あれについては斬れとでも命じられていたのだろう。賊というより、私兵と見たほうが間違いない。
結局瑶元が邪魔して妻は斬れず、伯岐だけを攫って行ったようだが。
机に拳を叩きつける。とにかく動き出さなければ。兄にすべて奪われるなど、昔と同じことを、今になってまで繰り返すものか。
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