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ハナミズキ(単発)
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「次!」
呼ばれた僕は、おずおずと構えの姿勢を取った。
「撃てえっ!」
振り下ろされた腕を合図に、目を瞑って思い切り引き金をひいた。
カチッ
「…え?」
何も起きない。
可笑しいな。今日はちゃんと引けたのに…。
首を傾げた瞬間
「細川ぁ!貴様ふざけてるのか!?」
応える暇もなく、林班長の右手が飛んできた。
バチッ。ズガーン!
平手打ちされた衝撃で、取り落とした銃から、弾が発射されたらしかった。
「何事だっ!?」
すぐさま工場長が、走ってくる。
「あーあー。訓練中に死んだら、何もならんし。陛下にかて申し訳が立たへん。そやないですか?林さん。」
「お、近江!お前っ!!」
真っ赤になって怒鳴る班長を、近江は全く気にする様子もなく、シレッとこう言った。
「まぁ、そないにカッカせんと。せめて、細川が銃を下ろすまで平手すんのは待ったってもよかったですやろ。」
「近江、貴様!!」
激昂する班長の目の前に、工場長が手を差し出して制止した。
「確かにそれも一理だ。林、すぐに射撃訓練を再開させろ。細川は近江と訓練終了後、その銃の整備をやれ。以上だ。」
工場長の言葉で、それぞれ持ち場に戻った。
僕は近江と列の最後尾につきながら、謝った。
「…ごめんね、迷惑かけちゃって。」
「ああ。そんなん、気にすんな。それより、この後の整備、気張らなな。」
「…うん。そうだね。」
工学科の学生だった僕らは、いま造船所で働いてる。
戦争が始まって、何隻も大きな船を作ったけれど、いつも材料を集めるのにとても苦労した。
この前なんか、お寺の仏像を溶かして、船底に使ったんだ。
毎日、婦人会や女子校から、鍋や釜、小さな髪留めに至るまで続々と金属製の物が集められ、送られてくるけど
どう頑張ったって、到底間に合いっこ無い。
最近じゃ、とうとう『人間魚雷』なんてものまで開発されて、本当に訓練が始まったって話だった。
「なぁ。細川。」
「なんだよ、近江。」
「もし、万が一。ここへ敵が上陸して、地上戦になったらな。…おまえは、いっちに逃げろ。ええな?」
「近江、おまえ、何言ってんだよ?僕らが此処を守らないと!」
僕の手を取って、近江は真顔でこう言った。
「敵の狙いは、船を造ってる此処や。だから此処を目掛けて上陸してくるやろ。だからな、おまえは近所の人らと一緒に、山を目指して走れ。絶対振り向かんと、東の山まで走るんや。出来るな?」
「ああ、分かったよ。」
僕よりずっと大人で頭の良い近江のことだ。何か考えがあってのことだろうと思って、僕は素直に頷いた。
「よっしゃ。」
「でも、そういう近江は、どうするのさ?」
「俺か?そら、もうこの銃構えて、撃ちまくったるわ。このアホんだら!生かしてここを通すか!!ってな。」
「駄目だよ、そんな。死んじゃうよ!きみが死んだら、妹さんたちは、どうなるんだい!?」
「…オレはな、細川。おまえらを守る為やったら、絶対に死なへんし、何人かって殺せる。だから、心配すんな。なっ?」
「呆れたな。おまえまで本気でそんなこと考えてるのか?」
「まさか、冗談やって。さ、チャチャッと済まさな、昼飯当たらんなるで。」
「ああ、そりゃあ、大変だ。本土決戦の前に、飢え死にしちまう!」
機械油代わりの魚油まみれになった手を振り回して、僕らは笑い合った。
実際、一般家庭よりは、優遇されているものの、食料事情は悪くなる一方だった。
そんな中、近江はどうやってか、大きな魚を獲ってくることがあった。
本人曰く、休憩中に糸を垂れてみたらたまたま釣れたのだと言っていたけど
それにしては毎回、立派過ぎるほどの大物ばかりだった。
―ああ、近江。
マヌケな僕は、彼の辛苦も知らず
ただ守られるまま、その日を暮らしていた。
そして、あの日。
敵機の焼夷弾が雨のように降り出した夜
「おい!起きろっ、細川!!」
深夜だったにも関わらず、何故か彼は素っ裸だった。
「ええか、いつか俺が言うた通りにしろや!?」
「東、の山…だっけ?」
「ああ、そうや。早ようこれ持って去ね!」
小さなリュックが押し付けられた。
「きみは?」
「素っ裸じゃ、ふうが悪い。何か探して着て行くさか、先行っとけ。なっ?」
いつになく優しい声だった。頬に添えられた手に、僕はのぼせそうな位、動悸が激しくなった。
「じ、じゃあ早く、来いよ?」
「おう!急いでいくからな!!」
その瞬間、隣の部屋が真っ赤な火を吹いた。
「秀生っ!!」
―おかしいな。
痛みも熱さも感じない?
近江は、どこに行ったんだろう…?
僕は、ぼんやりその場に立ち上がって。
それから、ひたすら山を目指して進み続けた。
―近江。
文字通り、身を挺して僕を守ってくれたきみのことを
僕は名前以外、ほとんど何も知らない。
ただ、きみとの思い出だけが、今も僕を支えてる。
あの造船所跡に植えられた樹に、また花が咲いた。
幹を撫でる僕の手は皺だらけで
だから、あっちで逢っても、僕とは判らないかもしれないな。
―待ってて。たぶんもうじき、いけるから。
『なぁに。急がんでも、ゆっくりきたら、ええからな。』
青い空のどこかで
彼の声がしたような気がした。
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