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初めてのキス
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「え?」
戸惑う僕に、潤は
「練習だよ」
と言って、隣あっていた席の椅子を、膝がつくほど寄せてきた。潤は、僕の顎の裏にクイっと人差し指をかけると、品定めするように僕の顔を見て、
「意外と可愛いんだな」
とつぶやいた。意外と……って。失礼とも受け取れる不遜な態度や言葉だったが、潤だから仕方ないか、と思った。潤は、人を遠ざけているところがあって、それが冷たい美貌と相まって、少し潤を傲慢に見せていた。上級生に呼び出されているのも、最初、生意気だと、しめられているのかと思ったくらいだ。
けれど、こんな美少年なら、そんな傲岸な態度になるのも仕方ないように思われた。潤に、品評会の林檎か何かでも見るように、モノみたいに扱われるのは、かえって、ぞくぞくするような快感を呼んだ。
椅子から身を乗り出して、まじまじと僕の顔を覗き込んだ潤の顔が、至近距離にあった。まるで、自分が女の子になったようで、どきどきした。
「目をつぶって」
潤は、僕に顔を近づけ、長い睫毛を伏せて言った。僕も目を伏せざるを得なかった。あまりにも近かったから。
潤の唇は珈琲の香りがした。制服のシャツの、ゆるめたネクタイの襟元からは、ほのかに甘い香りが立ち上っていた。これが潤の体臭なのか。あまりにも甘やかで優しい甘美な匂い。
雛のくちばしがふれるような、かすかな接触があって、緊張した僕は、思わずびくっと身をすくめた。僕が身を引いたので、潤は、僕の肩をぐっとつかんで、のしかかるようにもう一度僕を捕らえようとした。潤の、しなやかな野生の肉食獣のような身のこなしに、僕は、草食獣のように、とっさに逃げてしまった。いざとなると、本能的な、おそれが生じたのだ。初めて口づけすることへの、生まれて初めて性的な行為に踏みきることへの、おそれ。何かを失うことへのおそれ。子ども時代に別れを告げることへのおそれ。ひとたび踏み込んだら、もう元には戻れないことへの躊躇。そして相手が級友であることの、男子であることの禁忌の感覚。僕は、反射的に顔をそむけた。
潤は、僕の肩から手をはずした。潤は、あきらめたように、肩をすくめてから息を吐いた。
「ごめん」
僕はなぜか申し訳ない気持ちがして、あやまった。
「いいよ」
潤は、仕方ないなあ、という様子で、しかし不服そうに身体を椅子へと戻した。
「こわい?」
潤は重ねて聞いた。
「そうじゃないけど」
潤は、眉をひそめて尋ねた。
「だったら、嫌い?」
美しい自分のキスを受けないなんて、どうかしている、とでも言いたげな様子だった。
「潤のことは、嫌いじゃないよ」
潤のことは、好きだよ、と言おうか迷ったけれど、そんなことを言ったら、余計ばかにされそうだったので、言わなかった。
「俺のことは嫌いじゃないんだ?」
潤は、ご満悦の表情になった。
「うん、あんまり、潤を嫌いな人は、いないと思うよ。潤って、綺麗だし」
僕は、うっかり余計な本音を洩らしてしまったと、言ってから、また顔が熱くなった。しかし潤は容姿に関する賛辞は聞きなれているのか、僕の言ったことには頓着せず、素知らぬ様子で、言った。
「それなら、俺といっしょにエロースの愛の階梯を試してみない?」
「エロ?」
「違うよ」
そう言って、潤は、ソクラテスがとかプラトンの饗宴にとか、ギリシャ哲学ではとかローマではとか、ギリシャ時代には少年愛がとか、難しい、僕にはわけのわからないことを長々としゃべった。
僕らの学校は、この地域トップの進学校で、医師や弁護士、代議士など、地域の名士といわれる類の子弟が、ごっそり通っていた。なので、衒学的なことを言いたがる、というか、実際、僕にはない教養や知識がある学生も多かった。それで、はあ、またそういう小難しい知識自慢か、と僕はさして気にもとめず聞き流した。
「でも、潤は、たくさん経験あるんでしょ?」
僕は、よくわからないまま、知ったふりをして相槌を打った。
「経験? 今は、してない。というか、クラスメイトとは、ないな」
潤は、話しに食いつかなかった僕を軽んじる様子で、つまらなそうに答えた。初心な僕を安心させて手なずけるために、そんな風に答えたのだろうが、明らかに、あやしかった。四月の時点で新しいクラスメイトとは、まだ何もないというだけなのではないか。過去には、さぞいろいろ、と疑われた。
「そんなに、俺が、見境ないと思っているの?」
潤は、沈黙を僕の疑いと気づいたのか、僕が潤についてきた真意を確かめようとするかのように聞いてきた。
「そこまでは、思ってないよ」
僕は、注意深く潤の様子を観察してきたから、誘いに対して潤が慎重に対応していることは知っていた。だから、潤に関する噂を、すべて鵜呑みにするなどということは、けして、していなかった。
「だけど、今みたいに急にせまられると、やっぱり噂通りだったのかって、ちょっとがっかりするというか……第一、焦るよ」
僕は、潤と僕とを守りたい、抗議のために、怒ってみせた。
「瑶も、俺とエッチなことがしたくて後をつけてきたんじゃないのか?」
この美しい生き物と、エッチなことをしたいか、だって? 問われて、僕の動物的な希求は、yesと答え、ぐっと鎌首をもたげた。
それにしても、潤の性的な魅力に導かれたという点では、当たっていたのかもしれないけれど、少なくとも表面意識では、誘って具体的にどうこうしようなどといういかがわしい意図までは持っていなかった。僕の気持ちは、それだけじゃなかったと思う。
「よく、後をつけられたりするの?」
僕は尋ねた。
「過去には、そういうことも、よく、あったんだ」
潤は、慎重に答えているようだった。
「そしたら、今みたいにキスするの?」
僕は、尋問した。
「そういうわけではないよ」
潤は、僕の目を見て、僕が敵か味方か見定めているように、注意深く答えた。
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