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正木の出張 3
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鈴木さんの後をついていくしかない俺は辺りをキョロキョロしながら歩いた。高層の建物はあまりない。そしてこの時間ですでに暗い。目的地は繁華街らしい少しだけ賑やかなエリア。
「琴似くらいの規模ですね」
「そういう街、けっこう多いかも」
「それで?食事ですか?」
鈴木さんは看板や店構えに視線を投げながら吟味している。
「正木、覚えておいて。リサーチって会場の姿を眺めて会場の人と話をするだけじゃないのよ。生の声がけっこう大事なの。そうね、ここにしよう」
藍染のシンプルな暖簾がかかったこじんまりとした店。暖簾に店名は入っていない。入り口には黒いマットの石とツヤのある30cm四方の石が互い違いに置かれている。白木の引き戸にはめられたガラスから柔らかい光が漏れていた。黒い石の隅には盛塩がのった豆皿。
「ネットで評判の店ですか?」
「違うよ、私はネットで店は探さない。現地でピンとくる店に入ることにしているの」
「ええ?じゃあSABUROもですか?」
「そうよ。学生時代から私の鼻はきくってこと」
鈴木さん、鼻もきくわけですね。ハイスペックすぎる……ほんと。
カウンターの中にはご夫婦らしい二人。テーブル席が一つ空いていたが、鈴木さんは迷わずカウンターを選んだ。寿司屋でも絶対カウンターに座るんだろうな、この人。
「ビールお願いします」
俺はメニューを開き何品か選んだ。ビールが来る前に注文をすませ鈴木さんをみると「よし」って言うみたいに頷いてくれた。俺のチョイスは合格点だったらしい。
「お疲れ~」
「お疲れ様です」
喉に流れてくるビールの旨さ!仕事終わりの一杯は最高に旨い!あ、でもまだ仕事中だった。
「美味しい」
「どこで飲んでもビールは旨いです」
「まあね」
メニューにある「ばりそば」って何だろう。バリ?北海道でいう所の「なまら」かな。なまらそば?全然想像できない。
「鈴木さん、しめはこの「ばりそば」にしましよう」
「バリバリ固いのかな?」
その想像は浮かばなかった!女将さんが笑顔とともにジョッキを運んでくれた。
「ばりそばは太麺を揚げた麺にあんかけがかかっている料理です。あんかけ焼きそばよりゆるめ、でもスープほどゆるくない。酢やポン酢をかけるのがおすすめです」
「へえ~美味しそう」
「お客様はお仕事で?」
「そうなんです。さっき着きました」
「それはそれは」
クイっとビールを飲んだ鈴木さんがニッコリしながら女将さんに話しかけた。
「札幌から来たのでこんな時間になってしまって」
「まあ、そんな遠くから!」
そこからは鈴木さんの独壇場になった。世間話を装ったリサーチが繰り広げられている。明日あちこち行くつもりですが、この街には百貨店がありますか?お買い物は?あ~イオンモールですか。でも市内ではないですよね。ああ、山頭火!
リサーチ前に大体の商圏は調べている。ここから何キロ、何分離れた場所にある商業施設、百貨店、交通機関など。あくまでの表面上の情報でしかないから限られた広告宣伝費を投下するエリアの絞り込みは重要。鈴木さんは現地の一般的な人の動きを知り、情報の裏付けをとろうとしている。
俺は今まで会場を視察して、係りの人から情報を得ていた。20代~40代くらいがターゲット層であるから、会場の職員もその中に当てはまる。しかし大抵男性だった。買い物に行くのは女性が多いし、少々値がはっても「自分へのご褒美」というキーワードが効くのは女性。男性は買うにあたり裏付けがないと決められないところがある。自分がいいと思った、綺麗だから欲しいという感覚は女性特有。情報を女性から得る……まるで考えていなかった。
「岩さん、テレビ局や広告にツテはない?」
おかみさんが話を振ったのはカウンターで一人静かに飲んでいる50代とおぼしき男性。熱燗をちびちびしながら刺身をつついている。岩さんと呼ばれた男性は俺達を見た。
「イベントですか?」
「そうなんです。展示販売会ですね」
「会場は?」
「明日見て決めるつもりです」
「ぱるんか流通センターですかね」
「ええ、そうです。ただ会場費が全然違うし認知度や建物の雰囲気をみてから決めるつもりでした」
おかみさんはどちらの会場も知っていた。というか店内のお客さん全員認知度100%。どちらを選んでも「知らない」「行ったことがない」会場ではないらしい。安心材料だ。
「『コミぱる』のほうが綺麗よね」
「綺麗だけど、ちょっとお堅いな。コンサートや朗読会やったりするだろう?」
「古本市みたいな催しもするじゃない。流通センターはバッタ物や質流れ売り出しのイメージがあるわ。あとプロレス」
なるほど。二つの会場がどういう雰囲気なのかばっちりわかった。流通センターは札幌に昔あったテイセンホールみたいな会場だろう。
「女将さん、媒体のツテのことを話題にされていましたが……それは?」
「ああ、岩さん。この人アチコチに顔が効くエライ人なんですよ」
「なんにもエラくなんかないよ。酒の席で仕事の話はなんだし。明日11:00頃会社に来てくれれば、時間をつくりますよ」
名刺入れをポケットからだした男性の動きで鈴木さんはすっと立ち上がった。すでに名刺はスタンバイ済。俺もあわててポケットを探るが時すでに遅し。鈴木さんと岩さんはにこやかに名刺交換をして何事か言葉を交わした。そのあと岩さんは猪口と刺身に向き合い、鈴木さんと俺はばりそばをオーダーした。
俺だけ蚊帳の外で、まだまだ君だってことにしょんぼりしながら。
店をでてからの帰り道、聞きたい事だらけだった俺は鈴木さんを質問責めにした。
「鈴木さん、リサーチっていつもこういうことしてたのですか?」
「昼間もするけど、夜も大事よ。地元の人の話を聞くの。広告代理店の営業は希望的観測に基づいたデーターを言うこと多い。「規模の大きいイベントは流通センターが多いですね。認知度は周辺都市にもありますので、商圏を広げるのもアリです」って言うでしょうね」
「……言いそうです」
「女将さんが言ってたじゃない?バッタ物やプロレスって。女性の感覚ならではの視点」
「ですね。俺が今まで話を聞いていたのは大抵男です」
「若者がいく居酒屋に一人で行っても成果はないし、女性一人で行くと良かれと思って個室に案内されたりするのよ。だから若者が行かない、ああいうこざっぱりした店のカウンターに座る。だいたい地元の人間ではないってわかるから「お仕事ですか?」って聞いてくれる。一人だと特にね。そして「ええ、札幌から来ました」といえば掴みはOK。全国どこにいっても「札幌、北海道」って免罪符みたいに威力があるでしょ?」
確かにそうだ。アポなしで会場に行っても名刺をだすと書かれている住所に皆びっくりする。「わざわざ?」という顔を見ながら「すいません突然おうかがいして」とたたみかける。「別件でここに来たのですが、御社の会場のことを思い出しまして、ご迷惑と思ったのですが……」と言えば快く時間を作ってくれる。そういう意味で俺は相当楽をしていたらしい。
「美味しいものを食べて、ビールをキュっと飲んでおしゃべりと言う名の情報収集をするってこと。ただ飲んだくれていると思っていたでしょ?正直に言いなよ正木。怒らないから」
「呑んだくれとは思ってませんよ。ただコンビニ飯がよっぽど嫌なんだなとは……」
「まあいいよ、そういうことにしておいてあげる」
鈴木さんは暗い夜道でもはっきりわかる素敵な笑顔をくれた。ああ~~あ、ホントにもう敵わない。降参です!降参!
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