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対面
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「あーもー何もかも終わった……」
「…何が一番駄目だったんだ?」
「あー…古典?あ、いや、英語かなァ…」
期末テストが終わり、夏休みも目前となった。早く帰ろうぜと談笑する生徒達に追い抜かれながら五條と並んで階段へ向かう。頭の後ろで手を組んで、はぁと溜息をつきながら彼は先程あったテストの内容を思い出して嘆いていた。
「お前はどうだったんよ?苦手科目」
「あぁ…欠点ではないと思うが…微妙だ」
「でもそれ以外はいっつも点いいよなー。すげーな」
「まだ分からないさ」
左隣りでぼやく五條に苦笑したらチラリと目が合った。けれど彼が見ているのは俺の目では無い。
「…ピアス、やっぱ似合うぜ」
その言葉に自然と自分の左耳に触れた。そこには五條に貰った黒いダイアのピアスがある。これと同じものが彼の右耳についている。もう一度五條の顔を見たら、真剣な色を帯びた鳶色の水晶がギラリと光に揺れた。
その眼を見て一週間前を思い出してしまう。
彼のあの日の言葉が脳裏に過った。ピアスを開けてもらった日…あの日あった事の半分は、俺達の間で多分、無かった事になっている。お互いあれから何も聞かなかったし何も弁解しなかった。
あの扉の隙間から洩れた五條の謝罪と共に終わったのだ。
テスト期間だったこともあり、もう何日も過ぎてもらったピアスを付けれるようになった。
確かに気になる事は色々あった。何であんな真似をしたんだとか、何で中島に妬いたのかとか。でも訊けない。俺はそれ以上踏み込まない。踏み込んではいけないから。
触らぬ神に祟りなし。…ちょっと意味は違うが今の距離が脅かされてしまうような、余計な事はしない。保守的で臆病な俺にとってそれが一番懸命な判断だ。
五條に曖昧な笑顔を返したら納得したのか、彼は再び前を向いて歩く。その横顔に何故か少し胸がつっかえた。
下駄箱で靴を履き替えて玄関を出れば唸るような蝉の鳴き声がジリジリと耳を刺してきた。空のほぼ真上に昇った黄色い太陽が肌を痛い程照りつける。影のまったく無い道を校門へと目指した。
「あぁああっちー…」
「まったく…」
眩しい日光を片腕で遮って歩いていたら、両脇に植えられていた桜並木の影から一人の男が俺達の前に飛び出してきた。
背の高い男で体格が良い。長い前髪を右に流し左側サイドは綺麗に刈り込みが入っていた。襟足は少量肩にかかっている。襟元を大胆に開き、スラックスをルーズに履いているのか鮮やかな赤色をしたベルトが目に入った。外見からいかにも不良じみている。
誰だろうと、顔から腕を降ろして相手と視線を合わす。隣にいた五條が息を呑む音がした。
「た…武正っ…」
「よぅ」
小さく返事をする男はやはり五條の知り合いだったらしい。何かこの状況もデジャヴだな…と思いながら二人のやり取りを見守ることにした。五條は俺よりも一歩前に出て焦ったように目の前の男に問い詰める。
「な、何だよお前…ッ、どういう風の吹きまわしだよ…」
じろりと五條を睨んだ男は目つきが悪い。ふん、と視線を逸らすと驚く事に五條の言葉を無視し俺の方を向いて話しかけてきた。
「2年10組、千林武正だ。…てめェが兵藤直人だな?」
10組は俺達がいる4組とかなり離れている位置にあってあまり交流する機会はない。五條に用が無いとすれば、わざわざ俺に何の用なんだろうか。とりあえず男の質問を肯定して頷く。そうしたら今度こそ五條が俺の前に立ちふさがって、テーピングの取れない腕を振りあからさまに千林と名乗った男を威嚇し始めた。
「やっぱり兵藤狙いかッ!テメーといい敦といい…どーいうつもりなのか聞いてんだよッ!大体…もう俺に、俺たちに関わんなって言っただろうが…」
「だったら俺がどーしようが、龍牙にはもう関係ねェだろ?そうなんだろ?アァ?俺はその兵藤に用があんだ、お前に用があるわけじゃねーんだよ。それともお前はそいつの保護者だから聞く権利があるって?逆か、兵藤が龍牙の保護者だからって、か?」
「なんとでも言え、けどなァお前らがコイツに関わることは俺が許さねェ。理由はどうあれな」
今にも取っ組み合いが起きそうな不穏な空気に俺はおろおろと戸惑う。どういう状況か分からない。冷や汗がねっとりと額を伝った。この二人はどういう関係なのか。二人ともお互いを名前呼びしてるから、親しいと言えば親しいのかもしれない。
「らしくねぇな龍牙。そいつがそんなにお気に入りか?ダチを巻き込むのを毛嫌いするお前が、なァ」
ふ、と五條は千林から目を落とした。その行動が気に入らなかった千林はチッと舌を打って更に続ける。
「強くもねェくせに」
まっすぐに俺に向かって飛んできた言葉の刃が胸を刺した。急な痛みがドクドクと広がって早鐘を打ち始める。中島に言われた時よりもなぜかダメージが大きくて嫌な緊張感が足を纏ってきた。
——強く、無い。
「っるせえッ!何も知らねえくせに…兵藤はお前らと違うんだよ」
「ああそうかよ、その違いが何か余計に気になるな。…俺が何も知らないで近付いてきたと思うなよ。弱くなった龍牙を俺が知らなかったと…思うなよ?」
「ッチ……行こう、兵藤。もう構わなくていいから」
固まる俺の腕を掴んだ五條はぐい、と力強く引っ張って歩きだす。その状況にやっと頭が追いついたが情けなくビクリと震えてしまう。
「え、っちょ、ごじょ…」
いいから、と彼はずんずんと歩き始める。そのままつられて千林の傍を通り過ぎようとした。五條の後頭部から、千林の顔に視線を移した時、一瞬辺りが無音になった気がした。
彼の眉根は深く寄せられ、酷く辛そうだ。黒い瞳は悲しい色をしていて、血色が悪くなる程強く噛んだ唇は痛々しい。何かを堪えているその表情は今にも涙を零しそうで。
この男は、五條をどれだけ知っているんだろう。こんなに表情を歪ませるほど、五條の事を、どれだけ。
完全に千林を背後に回した時、辺りの空気が急にビリリと振動した。
「気に食わねえ!」
悲痛な叫びが俺の背を弾く。歩いていた足を止めて、ゆっくりと声のした方を振り返ったら、既にそこには誰もいなかった。
ザワザワと騒がしい蝉の鳴き声が辺りに反響しているだけで、もう彼の声も聞こえない。今のは、本当にあった出来ごとだったんだろうか。俺は本当にあの辛そうな表情を見たのだろうか。彼の叫び声は一体どこから…。
「兵藤…?」
五條の声を後ろに聞きながら、酷く不安になる。今さっき出てきた玄関の方を見たら、ゆらゆらと揺れる陽炎が今し方去って行った男の心情を具体表現しているみたいだった。
「なぁ…五條…」
強くない俺は、本当に
「俺は、お前の傍に居ても…いいのか…」
生ぬるい風のせいで木立が揺れ一旦蝉が止んだ。けれど徐々に煩い鳴き声は土砂降りの雨の様に降り始めて止まらない。五條の返事は俺の耳には届かなかった。
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