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10月10日のデート
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「愛らしく、素晴らしい演技だった…」
「南村一輝が?」
「違う」
「窪田、南村一輝に謝れ。素晴らしかったろ?」
俺が言うと、窪田は無表情だけど微かに唇を尖らせた。
「違うと言っただけだ。愛らしく素晴らしいのは、〝あなご〟と〝さくら〟と〝ジャック〟の3匹だ。あの白黒の対比と言ったら…」
窪田はため息をついて、つまんでいた竹串を猫の焼き印付きの竹のコップに棄てた。
今日の俺たちは、映画館で猫侍を観てきた。
それから猫ダイニング〝またたび〟で呑みながら、ああだこうだと雑談している最中だ。
窪田は予想どおり、映画の猫たちの虜になっていた。
無表情だけど思い出してはため息をついて、猫の世界に浸っている。
「そんなに良かったなら、もう一回観に行くか?」
「……………………」
俺の問いに窪田が固まった。
また、なにやら考え込んでいるようだ。
不要なタスクは全て閉じて、情報処理に集中している。
その間に、俺は店員を呼んで軟骨入りつくねとホタテの刺身と生ビールを追加した。
それから注文した生ビールが来たところで、窪田はようやく動き出した。
「た、橘…」
窪田は小ぶりのショルダーから財布を取り出し、チケットを2枚俺に見せた。
「ん、猫侍の前売り券?お前なんで持ってるんだ?」
「俺も、買っていた。しかしお前が先に…誘った、から…」
「すげぇ!なんか、考えることは一緒って良いな。お前も俺を誘うつもりだったなんて、嬉しすぎるだろ」
カップルなら映画を観たい側が誘うのが当然だと思うかもしれないが、俺たちは違う。
窪田は結構なオクテというか、ツンデレというか。いつでも何でも俺が誘う立場だから、窪田が前売りをペアで買っていたというのは、俺の鼻の下を伸ばすには充分な出来事だ。
しかし、俺のセリフに窪田は思い切り顔をそらしている。
「窪田?」
「………………そんなに、喜ばれると、罪悪感が…」
「なんで?」
「…最近の俺は、日々の戦いで、心が荒んでいる」
「なにお前。日々の戦いとか、侍になったつもりか?」
俺の猫侍を絡めた渾身のジョークを無視して、窪田は続けた。
「橘が先に前売りを差し出した時、思ったんだ。…俺が買った2枚は、俺がこっそり2回観に行けばいい…と」
「マジか」
「だからさっき橘がもう1回観に行こうと言った時、このチケットを出すべきか…俺は咄嗟に悩んでしまった。黙っていれば俺は4回観に行けることになるから」
「なるほど。かなり長い間迷ってたな」
っていうか、4回目はさすがに飽きるんじゃないか?窪田はどれだけ猫が好きなんだ。
「…経営企画にだけは、染まるまいと、思って…いたのに。気がついたら、俺は自分のことしか…考えない人間になっていた」
窪田はそう言って生ビールを一気に飲み干し、ガックリと肩を落としてしまった。
「おいおい窪田、そんな飲み方したら、俺の思うツボだぞ。今夜も食っちまうぞ?嫌だろ?」
自分で言いながら悲しくなるようななだめ方をして、俺は窪田のジョッキを取り上げた。
凄く好きなもので、まして映画のチケットくらい、そんな気持ちになったって別に良いんじゃないか?そう思うのだが、窪田は自分本位な思考に自己嫌悪しているようだ。
「経営企画にだけは、染まるまいと思っていたのに」
「じゃあ、俺色に染まってく…」
「断る」
「早いな!」
それにしても、経営企画でやっていくのはやっぱり過酷なのだろうか?
本当は春日さんから「センターに来る他企業の女性営業さんを喜ばせる設備って何がある?」という宿題をもらっていたんだ。それを窪田にも振って一緒に考えようと思っていたんだが…。
元々、ゲイな俺や、他人に興味のない窪田ではあまり良いアイディアは浮かびそうになかったから、まぁいいか。
それよりも、窪田のガス抜きをしてやる方がずっと有意義だ。
「窪田、いいもの借りてやるよ」
俺は店員を呼んで棚を指差した。
交渉してみるとあっさりOKがもらえて、店員が棚からリアルな猫のぬいぐるみを持ってきた。
「ほら窪田、持ってきてもらったぞ」
「………………」
ついさっきビールを一気飲みした窪田はアルコールが回りはじめたのか、頬を赤くして素直に猫のぬいぐるみを受け取った。
いつもキュッと結んだ唇がほころんでいる。
たとえぬいぐるみでも、窪田はじゅうぶん嬉しそうだ。
窪田は本物の猫を抱くみたいにそっと腕で包み、首筋に何度も頬ずりしはじめた。
俺が窪田を意識し始めたばかりの、まだ窪田が猫アレルギーになっていない頃を思い出す。
あれからもう半年経ったんだ。
公園で捨て猫を抱いていた時も、窪田はこんな顔をしていた。
目を細めて、頬は緩んでいる。見方によっては微笑んでいるような表情だ。
「……可愛い」
思わず呟くと、窪田がハッと我に返った。
「み、見るな」
「はいはい」
窪田は真っ赤な顔で俺を威嚇するが、ぬいぐるみを撫でる手は止まらなかった。
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