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兆候-9
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学校で負った手や頬の切り傷と喧嘩での擦り傷は、風呂場で湯船に浸かった途端に大河を後悔させた。
かなり沁みる。喧嘩で殴られる時よりも痛いかもしれない。
「ってぇ……」
苛々しながら八つ当たりのようにコックを乱暴に捻って、シャワーのお湯を止めた。完全に捻ったのに、またポタポタとお湯が滴り落ちる。床のタイルに落下してピチョンピチョンと足へ跳ねる。それがまた、大河の機嫌を損ねた。
短い髪の毛から水を滴らせながら大河は風呂場から出る。いつもは整髪料で軽く立たせている髪の毛も、今は湿り気を帯びて大人しくなっていた。
髪もろくに拭かないまま下だけスウェットを身に着けた状態でリビングに移動すると、いつもの風景が飛び込んだ。
殺伐としていて、必要最低限のものしか存在しない部屋。あまり物欲のない大河には、この空間が一番心地いい。
1LDKのアパートに一人暮らし、家賃は両親が払ってくれている。
毎日のように喧嘩をしている筈なのに、どうしてか久しぶりにしたような錯覚がある。何故だかは知らない。しかし、今日のストレス発散で胸に溜まっていたわだかまりが少し軽くなったのは事実だ。
気味の悪いウサギの着ぐるみのこと。追い詰められている感覚があったが、今は忘れる事が出来た。
喧嘩しか脳のない自分。いつも通りの日常が戻ってくる気がした。
時刻は午後九時。まだ就寝するような時間でもない。大河は何となくテレビをつけた。自宅にある娯楽といったらこれしかなかった。
しかし、画面が映った途端に再び違和感を抱く。
「んだよ、コレ……」
映ったチャンネルは、画面一面が砂嵐だった。
(放送終了する程遅くねえしな……)
神経に障る、ザーザーと不快な音を発するテレビ。他のチャンネルに変えても、灰色の画面は皆同じだった。
(壊れてんのか?)
溜まった鬱憤を消化できた日でもあったが、今日はやけに苛々する日だ。大河の眉間に皺が現れた。
ソファに寄り掛かっていた大河がやむなく立ち上がってテレビに近づこうとした時、ようやく画面から砂嵐が消えた。
「何なんだよ……、!」
大河は言葉を失った。
鮮明に映し出される映像は、最近、頻繁に目にする――。
(あいつ……!)
大きく横に裂けた口、黒い目玉、破れかけた白く長い耳。この奇妙な着ぐるみは間違いなく奴だ。
絶句したまま、大河はテレビの前で立ち尽くした。金縛りに遭ったように動けないのだ。
「……っ」
画面の中で不吉に笑うウサギから目が離せない。その姿を見ているだけでもおぞましいというのに、大河はもっと衝撃的な事実に気づいてしまった。
画面の中にただウサギだけが存在しているのではなく、奴は“何処か”にいた。
背景の茶色の壁と、薄い桃色のドアは確かに毎日目にしている。
ウサギが立っている場所は、大河が住む部屋の前ではないか?
「っ」
身体が動くと思ったら、咄嗟にリモコンをテレビに向けて電源を落としていた。
動悸が激しい。原因は取り除いたのに、いまだドクドクと動いて、徐々にスピードを上げる。一向に衰えない鼓動は、大河の余裕を残らず奪って行く。
落ち着いて立っていられない。大河はリモコンを乱暴にテーブルに叩きつけると、逃げるように寝室へ走った。中に入ってバタン! とドアを閉める。
ドアに凭れ掛かり、そのままズルズルとしゃがみ込む。
(何ビビってんだよ、いつもの幻覚だろうが)
きっと幻だ。疲労が齎す幻覚に違いない。でなければウサギなんて見える筈がない。……そうだろう?
(幻覚……)
本当に幻覚だろうか。何度も大河の前に現れるウサギの着ぐるみは、本当は現実なのではないか?
不意にそんな疑問が浮かび上がり、大河は瞬時にそれを打ち消した。
(んな訳ねえだろ……)
どうかしている。そんな考えが浮かぶ自分も、幻覚を見ている自分も。
自身に無理矢理納得させて、大河はそれ以上考えないことにした。
もう寝よう。寝れば、こんな得体の知れない切迫感に悩まされることはなくなる。
重い身体を引き摺ってベッドに移動した大河は、そのまま泥のように深い眠りについた。
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