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前編4
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□□□
「こ、こんばんはー……」
午後9時過ぎ。
バイトが終わって、2駅目で降りた俺は、小さくなりながら『エス』に顔を出した。
営業時間は9時までだから、閉店して少し経ったくらいだ。
カットモデルの時に、この位の時間に来たことがあるから勝手はわかってる。
受付に走り寄って、ベテランぽい男性スタッフに声をかけた。
「あの、笠井さんに連絡もらって――」
「あ、聞いてますよ。店長と、取りに来させて悪いなあって言っててね。店長――」
見回してくれたけど、フロアに笠井さんの姿はない。
待っててね、と言い残したスタッフさんが、奥に消える。
ふと視線を感じてフロアの奥を見ると、2人の女の子スタッフが俺を見て思案げに眉を寄せていた。
新人、かな。年も俺とそんなに変わらなそうだ。
2人は、こそこそ話し合って、なにか相談してるみたいだ。
……なんだろ。なんとなくざわざわする。
「あー、そっかそっか!」そう手を叩いて、手にモップを持ったまま、いそいそと傍に来た。
「店長のカットモデルさんですよね?」
「あ、え、と、はい」
「やーっとわかった、お気に入りって、この子かあー」
お・気・に・入・り・?
かあーっと足から血が上がってくる。
「確かに髪、素直そう~」
……あ、なんだ。髪のことか。上がりかけてた血が、元の位置に戻っていく。
さっきの男性スタッフが戻ってきた。
「出てるのかな……すみません、今携帯に」
「あ、いいんです! 忙しいだろうし」
俺は、へらっと笑って手を振った。昼の、姉貴の言葉が結構気になってたりする。
「でも店長に、紘くんが来たら教えろって言われてたので」
「いや、本当に! 俺もすぐ帰らないと、なんで」
そう?と申し訳なさそうにしながら、スタッフさんが、シャンプーセットを渡してくれる。
「またお願いしますね」
俺が苦笑いして受け取ると、その人は、奥から呼ばれて踵を返して行った。
「……店長の居場所なら知ってますよー」
入れ代わりに、スタッフルームからでてきた若い女性スタッフが声をかけてくる。あっちあっち、とぴんと伸ばした人差し指で、お店の裏通り側の窓を指した。
「あ~……」
察したらしい新人組も一緒になって、一斉にローテンションな声を上げた。
頭の上でおだんごをしてるスタッフさんが、ぼそっと言う。
「告白タイムか……モテるねー」
ギクッと、体が揺れた。
店長に告白してくるお客さんがいるっていう話だった。
閉店まで待ってたお客さんに呼び出されて、その対応をこの時間帯にすることが時々あるらしい。
「まあ、そう簡単には頷かないだろうけど」
みんな、腕組みしながら世間話みたいに話している。
わけがわからないながらも、なんとなく聞き入ってしまった。
「店長、基本、既婚か男しか採用しないじゃん? 店長、あっちの人?」
心臓が跳ねた。それは、俺も気になってたんだ。
「違うらしいよ。前のお店で揉めたせいだって話」
えっ?
「何それ知らないー」
「職場で店長の取り合いになったんだって。それで、サロンの雰囲気悪くなったって」
「私が聞いたのは、ストーカー化したお客さんに店の悪い噂流されちゃったとか――」
「それって、店長が最初に勤めてたところ?」
「店長のオネエ言葉も、女っ気遠ざける為でしょ」
ぼろぼろ出てくる笠井さんの話が、重量感を持って次々と耳に飛び込んでくる。
「だから店長、若いのに独立したんだー」
「でも、最近、いい人できたらしいじゃん」
弾かれたように、その声の主を見る。
さっき奥から出てきた、女性スタッフだった。
「ちょっと前まで、いろんな子とデートしてたみたいだけど、ぱったりなくなってさ。この間、超美人と歩いてるところ見たって、やじもんが言ってた」
超美人?
途端に、胸がギシギシ言い出す。
黒い絵の具の水をひっくり返したような不快感が、じとりと胸に広がっていく。
これって、楽屋裏の話だ。まんまと混じって聞いてしまってる。
「誰それ」
「さあ……業界の人っぽかったって」
「モデル?」
どうしよう。
これ以上、聞きたくない、かも。
でも、気になる。すごく。
誰? 誰だ?
じとりと手のひらに汗が浮かんで、ぎゅっと服を握る。
「……こら。紘くん居る前で」
呼ばれて居なくなってた先輩っぽいスタッフさんが足早に寄ってきて、噂する3人を睨んだ。
「……あ! そうだった、ごめんね紘くん、つい……」
手を合せてスタッフさん達が謝ってくる。
「ぜ、全然、俺、よく聞いてなかったし」
それじゃ、と慌ててシャンプーを持って、お店を出た。
これ以上ここに居たら、笠井さんが戻ってくるかもしれない。
もし会ったら、どんな顔をしたらいいのか、わからなかった。
今日の風は、秋らしく冷たい。
笠井さんは、この裏の通りにいるんだろうけど、顔をのぞかせる勇気が出なかった。
「……笠井さん、男の人だもんな」
心の底が、痺れるように重くなる。
夜の空が、急に遠く感じた。
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