アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
※アンビバレンス
-
「地域に開かれた学校づくり」。そういった名目を掲げ、授業参観が行われることになった。
いつもより緊張しながらも、授業を終える。安堵感に息をついたところで、信じられない姿を見つけて、秋月は息が止まりそうになった。
「文久」
磨かれた廊下を一歩、退いた凝視した目で見つめる顔は、夏祭りで再会した志賀に間違いはない。
渇いている喉は、これ以上何も言葉を発することなどできはしなかった。ただ教材を握りしめた指の強さが、自分のすべてを表現してしまっている。
「こんにちは」
白々しい挨拶が、掠れた声となって放たれる。志賀が近づき秋月も後じさると、可笑しそうに懐かしい唇は歪んだ。体温が下がっていく。
授業中、なるべく後ろの保護者は気にしないようにしていたが…気づかなかった。気づいていれば、授業はボロボロになっていただろうから、それで良かったのかもしれないが。
(どういうつもりで…)
表情が引きつるのがわかる。うんざりしながら、秋月は志賀を睨みつけた。
「もう一度、文久に逢いたくて。
ほら、この間は邪魔をされてしまったからね」
「何の用、なんですか」
苛立ちを抑えきれない。まともに話なんて、できるはずもない。
「俺とよりを戻してくれ、文久」
「嫌です。…こんなところで、やめてくれませんか。そういう話」
「じゃあ、俺の部屋に行こうか?ホテルでもかまわないけど。二人きりになれる場所なら、どこでも」
監禁されていた、というただの過去が脳裏を過ぎった。
あの部屋には、もう二度と行きたくない。勿論、ホテルだってごめんだ。
「は…。僕はどこにも行きません。志賀さん、あなたと一緒には」
志賀にかまわず踵を返すと、細い身体とぶつかりそうになる。
乱れた髪を整えながら、その生徒は訝しげな声を出した。よりによって、
「フミちゃん?…誰?」
図書室の鍵を弄びながら、倉内は不可解そうに志賀と秋月を見比べる。
隣りに立っているだけで、舐めるような視線を志賀が倉内に向けていることがわかった。
(いけない)
何らかのちょっかいを出すことは、安易に予想できる未来だ。
その辺の倫理観を、この男は持ち合わせていない。秋月は、それをよく知っている。
「ああ、また明日」
聞こえなかった振りをして笑みをつくると、勘の良い倉内は何か言いたげに頭を下げて、
「さようなら」
それきり、振り返りはしなかった。…それでいい。
悟られないようにホッとしたその耳に、試すような言葉が投げられる。
「俺、タイプだな。ああいうの」
思わず秋月が瞬きすると、志賀は笑って続けた。
「お前が相手にしてくれないなら、年下で試してみるのもいいかもしれないな。名前、何ていうんだ。あの子?ナンパしてこようかな」
「志賀さん!」
血相を変えて叫ぶ声に、
「妬いてるの?可愛いねぇ。お前は、本当に可愛いよ」
手首を掴まれ、爪を立てられる。やはりそのすべてに愛情のかけらも感じられない、あるのはただ憎悪だけだ。与えられるのは。
不思議と今は怖さより、最悪の事態だけは免れたいという気の方が強い。昔は守りたいものさえも、何もなかった。だから捨てられた。自分さえ捨てて、空っぽになって。視点を変えれば悩みこそ、自分が成長した証明のような気もしてくる。
「そんなこと、絶対にさせません」
強い口調で断言すると、秋月は志賀を睨みつけた。
「ただの挑発なんだとしても、見過ごせません。大事な生徒を、あなたなんかに傷つけさせたりするものか」
「じゃあ、どうやって守る?文久」
心底馬鹿にしたような、何の感情もないような目。
「…来て、ください」
声が上擦った。ぎこちないそのセリフに、満足そうに志賀が微笑む。
悔しくなる。胃がムカムカする。自分ときたら、他に方法なんて知らないのだから。
「可愛い上に優秀だ」
これ以上の嫌味があるだろうか?秋月は唇を噛み、志賀からそっと目を背けた。
***
屋上というのは曖昧な場所だ。学校の中の特異な空間。閉鎖的でもなく、開放的でもなく。
行き場がなければ来てしまうのだ、今みたいに。少し肌寒く感じられる空気を、胸に吸い込む。
「自己犠牲もいいところだ。反吐が出る」
「…っ」
強く腕を掴まれて、秋月の眉が寄る。
低く押し出すような声は、ひどく冷たいものだった。
「本当に。僕に、会いに来たんですか?」
そんなはずはないのに。どうしてそんな確認をしたのか、自分でもよくわからない。
「そのまさかだけど?そうでなければ、こんな場所に来る必要がない」
「信じられない…」
「俺はずっと、自分の中から何かが抜け落ちたような虚しさを感じていた。祭りの日、文久の顔を見て、話して…」
「僕があなたのそんな言葉を、馬鹿正直に信じると思っているんですか?」
「さあ。…もう、言葉はいいだろう?脱げよ」
「……」
「聞こえなかったのか?全裸になれって言ってんだよ」
セックスの時に初めて、この男のサディスティックな性格を知った。
それまでは、本当に優しかったものだ。今思えばそれも、全部ただの前振りにすぎない。
秋月は覚悟を決め、手が震えないよう気をつけながらシャツのボタンを外し始める。
(大丈夫だ。別に、こんなこと。大したことじゃない、大丈夫だ。さっさと終わらせて別れて、それで…全部終わり。終わるはずだ)
酷薄な笑みを浮かべ、志賀が目を細める。
秋月の、背中や腹につけられた痣を指でなぞり、満足げに肩を揺らした。
「他の男に抱かれるにしても、この身体じゃあ…。綺麗なのは顔だけだな」
他人事のようにそう告げられ、思わず秋月の唇が歪む。
(…馬鹿らしい)
「僕の顔なんて、好きじゃないくせに」
「ああ、大嫌いだ…憎悪さえ感じるよ。お前を見てると、滅茶苦茶にしたくなる」
志賀が本音を見せるのは、こんな時だけだ。痛みを感じた古い傷に、気づかないふりをする。ただ、愛されたかったのだ。この男に。それだけでよかったのに、叶わなくて、苦しくて…自分は繋がれていた手を離した。
「してると思いますが、実際」
吐き捨てるように言ったセリフも、相手にされない。
「…壊れてくれれば、良かったんだ」
きっとそうすることだって、選択肢の中にはあっただろう。けれど秋月は志賀から離れ、穏やかな日々を手に入れた。今も間違ったとは思わない。
「いっ、った…!!」
首筋に噛みつかれて、秋月は苦悶の表情を見せる。
「文久」
「僕はただ、」
唇が塞がれた。息もできない激しいキスに、目を開けていられない。何度も口腔を舐められて、抗おうとした腕は金網のフェンスに押さえつけられている。不意に股間を撫であげられて、堪えきれない吐息が零れた。
「んんっ…んぅ……ぁっ…!」
身体が思い出そうとする。反応が、記憶から呼び起こされる。この男に与えられた快楽を…知っているから。
「こんな本性を隠しておきながら、聖職者が聞いて笑うよ。きれいぶって…何にも知りません、って顔をして。もう、こんなになってるってのに」
「志賀さんの、言うとおりですよ」
緊張しているせいで、秋月の額には既に汗が滲んでいた。興奮ではない、冷えた情欲が触れられた指から拡がっていく。
「妙に色気づきやがって。夏祭りで会った、あの偉そうな彼氏のおかげか?」
「…ふふ」
思わず秋月は笑ってしまった。この状況で不釣り合いだとは思ったが、堪えきれない。とんだ誤解だ。むしろ長谷川が自分の恋人なら、こんなに悩むこともなかった。
まるで、愛されているみたいだ。ただの暇つぶしにしては、いやに熱っぽく。
歯に衣着せぬ物言いは、相変わらずで。自己中心的な性格も、周りにどう思われるかなんて、微塵も考えないこの男の…研がれた凶器に近い真っ直ぐさを、懐かしく感じるなんて。自分の想いに忠実なところ、今でも嫌いにはなれない。
「俺を馬鹿にしてるのか?文久」
頬を叩かれた。秋月は微笑んだまま何も言わず首を振り、志賀に向かって手を伸ばす。
身体の相性が合うなんて、次元じゃない。自分の嗜好は、この男に都合の良い風に調教されて出来上がったものなのだから。
(楽しめばいいじゃないか。他の男と同じように。いつもやってることだ、どうせすぐに終わる)
『…本当は、オレのことからかってるだけなんだろ』
(え…?)
今、覚悟を決めたばかりで。どうせするなら気持ち良く、勿論、そういう意味のやる気だ。
なのにどうして、こんな時に思い出してしまうのか。唾を飲み込んで、呼吸を整えようと大きく息を吸い込む。
(まずいな)
貞操観念なんて、知らない。自分にあるとも思えない。だらしなさなんて、とっくの昔に自覚済み。それに、そもそも後藤とつきあっているわけじゃない。
(…後藤くん)
一度脳裏に浮かんだ残像が、消えようとはしてくれないのだ。
(恋人じゃないんだから、別に…何をためらってるんだ。僕は)
集中していない秋月に気がついたのか、志賀の責め方は執拗だった。指が生き物みたいに秋月の肌を這い、引っ掻いて、こねくりまわして撫でさする。甦る思い出と共に、侵食されていく…。
身体中が性感帯みたいに、敏感に反応してしまう。全部、この男のおかげで。知り尽くされた自分の身体は、志賀の手の及ばないところなんてないのだ。きっと。
「し、…志賀さ…んっ…あ、ああっ」
身体がどこかで快感を覚える度、激しい罪悪感に苛まれ、泣いているような喘ぎが漏れる。
ぐちゅぐちゅと内部を掻き回される音に、ただ自我を忘れたくなった。
『先生がオレのことを、好きなのは知ってるんだ』
(後藤くん、僕は…)
ひどく胸が痛んだ。滲んだ視界の中、険しい表情の志賀が見える。
彼はいつも不機嫌で、抱いている最中なんてその極みのようなものだ。発散の為のセックス。…性欲ではなく、なんていえばいいだろう。
それでも感じる自分、というのが昔はいたたまれなくて。堪えられなかった。
(確かに君のことが好きだ…。この気持ちだけは本物で。だけどきっと、僕のこんな姿を見たら、)
「―――――はっ」
思わず、志賀にしがみつく。腰を抱え上げられズチュッという音を立て、志賀がゆっくりと挿入してきた。指で慣らされたそこは熱く志賀を締めつけ、吐息が秋月の耳にかかる。
「…や、だ…!令治、んぅ…っ……ぁ…」
志賀令治。それが志賀の名前だった。何度も呼んだ、忘れようもない名前だ。
涙が零れる。快楽じゃない、身体が感じていることがどうしようもなく辛かった。気持ちがいい、胸が苦しい。声を出さないようにするだけで精一杯で、気を抜くと途端に、志賀の動きに溺れてしまいそう。
「文久…」
その声が愛しげだと思ったのは、気のせいだったのかもしれない。大分、まともに物事を考えられない。キスをされた。随分と優しいものだった…秋月は首を振り、逃れようと身体を捩る。
「令治、抜いて…!お願い…嫌、だ」
(僕が本当にキスをしたいと思っている相手は、誰だ?そこを直視してしまったら、他のものなんて何一つ必要ない。こんな状況は、望んでない)
極端な思考が、自分の内に留まっているのにもう、苦しくて堪えられない。
「嫌?よく言うよ、こんなに俺を受け入れておいて…。ほら、好きなんだよな。お前は、ここが。ここをチンポでグリグリされると、イイんだろ?」
「ひぁあ…や、めっ…ああっ、やだ…。ぁあん…令治、抜いて、よぉ…」
弱いところを抉るように動かれて、秋月は嗚咽を漏らした。泣きすぎて、頭がガンガンする。泣き落としなんて通用しないのは、百も承知で。
身体はこんなにも気持ちいいのに、胸が痛くて死にそうだった。どうにかしなければ、どうにか、
「文久?」
理解して欲しいなんて虫のいいことは、思わない。自分でも馬鹿みたいだと思う。
「自分じゃ、どうしようも…ない、からっ!嫌だ、感じたく…ない…やっ!」
こういう形で自分を晒して、志賀がどう思うかなんてそんなこと…知らない。
この感情を引き出しているのは、志賀ではない。好きで好きで、他の男に抱かれながらも消えてくれない、大好きな…。
「…文久、どうしたっていうんだ?」
「好きな人がいるんだ、令治…!やっぱり、できなっ」
悲鳴のように秋月は叫ぶ。志賀が表情を曇らせた。
「あの男は違うって、さっき否定したばっかりじゃないか。そんなに、俺に抱かれるのが嫌なのか?」
別れた男の傷ついたような表情を、笑う気にもなれない。一人のことしか考えられない。
後藤が好きだ。
その感情に心は支配されている。心だけでなく、自分の身体が求めているのもまた…。それは、誤摩化しようもない秋月の真実だった。
「違う!彼は本当に…ただの、同僚の先生で…くが、僕が好きなのは……」
『オレのよく昼寝する場所のひとつが、屋上なんだ―――』
秋月は瞠目して、距離を置いて立ちつくした後藤の姿を見た。多分、目が合った。
いつからそこに立っていたのか、確かに、信じられないようなものを見るような表情でそこに、後藤がいる。信じられないのは、信じたくないのは…秋月も同じだったけれど。現実に、彼はそこに立って自分を見ていた。
「文久?」
蒼白く血の気の引いた秋月を怪訝そうに伺い、志賀は振り向く。
(もう駄目だ)
身体中の力が抜ける。かたかたと小さく震え始めた手にますます動揺して、ただ、秋月は硬直していた。後藤はまったくいつもの通り、怠そうにこちらへと歩いてくる。
志賀は秋月の中に腰を静めたままで、解放しようという気は全然ないようだった。
(後藤くんに僕の中で一番、見られたくないところを見られた…。知られてしまった)
今までの我慢は一体何だったんだろう、全部、意味がなくなってしまった。
できることなら彼の前では…ほんの、ほんの少しでも普通の高校教師を演じていたかった。好きだから、好かれたいから、そう…思っていたのに。
「あのさあ」
叱られるのを待つ子供のように、あるいは審判を待つ罪人のように、秋月は肩をびくつかせる。
第一声を発したのは後藤の方で、大して感情のない目を志賀は向けるだけだ。
「安眠の邪魔…っていうか、アンタさ、誰か知らないけど…。嫌がってんだから、止めたら」
「君も混ざるかい?3Pもけっこう楽しいよ。ね、文久」
どんな形でトドメをさせばいいのかも本当によく…、志賀は知っている。
瞼がヒリヒリする、そう思った。
「興味ない。先生から離れてくれ」
「わかったよ」
含み笑いをしただけで、志賀はそれ以上何も言わない。志賀はスリルを好んでいるわけではない、ただ、悪趣味が過ぎるだけで。
「んっ…」
ゆっくり身体を解放されて、秋月は乱れた息を整える。怖くて、後藤を見られなかった。いっそ、このまま消えてしまいたい。
「早く、学校から出てけよな」
まるで眼中にないような、淡々とした声音。
「潔癖だねぇ。君も経験、あるだろう?」
後藤の返事はない。苛々と頭をかく仕草が、視界の隅に見える。
相手にされないとわかると、志賀はからかうのを止めたらしく声を出して笑った。
秋月は緊張しきって、志賀の別れのセリフを聞く。それは随分と、あっけなかった。
「文久、本当に変わったな。…楽しかったよ」
沈黙がただひとつの、自分の返事。
楽しかったよ、がいつのことを指しているのか。秋月には、わからなかった。
ひらひらと手を上げて、志賀が去っていく。見送りもせず、俯いたまま唇を噛む。
ひどい顔をしているところを、見られたくない。隠したいところなんて、もう、何もなくなってしまったけれど。
(後藤くん…)
後藤は何も言わないで、金網のフェンスを握りしめた。殴りたかった右手は行き場なく、衝動を抑えられずに震える。もし退学にでもなれば、きっと秋月は悲しむと思った。そう胸の内を明かしてしまえば、隣りで泣いている教師は、少しは楽になれるのだろうか?
秋月が他の誰かに抱かれるなんて、想像したこともなかった。ましてそれを見てしまうなんて、
「何なんだよ、あいつ。誰?秋月先生に…オレ、」
混乱が、言葉になって零れ落ちていく。見たくなかったと、それは口に出していいのか。
大きく息をつく。後藤の身体の力が抜けて、かくんとフェンスにもたれかかった。
どのくらいそうしていたのか、秋月にはもう感覚がわからなくなっている。
今度こそ、身体中が痛いと思った。気まずいなんてものじゃない、この空気は。
やがて後藤は目を開くと、眠そうな声で、
「もう、行くわ」
簡潔な挨拶だ。自分は、何と言ってほしかったのだろう。何を望んでいるんだろう、この期に及んで。後藤の方が、きっと自分よりはるかに痛みを感じているのに。
(ごめん…だなんて、恋人でもないのに告げるのはおかしいよね)
秋月が顔を上げたところで、その背中は振り返りもしない。このまま一生、目が合うことなんてないんじゃないかと絶望した気分になる。
終わりというものは、意志とは関係ないところで、いつでも唐突に訪れるものだ。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
20 / 50