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夜の波の、寄せる縁
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白楊はいつもの日課の、夜の浜辺へ散歩へ出掛けた。日中の熱気は引き始めているものの、まだ潮風はぬるいままで、白銀の髪と着ている薄い白地の袍の裾をさらう。海は昼間とは別の暗い色をたたえて、月明かりを歪ませながら波が押し寄せては引いて行く。
「白楊さん、僕も一緒に眺めて良いですか?」
棗が追って来ているのは知っていたが、白楊は自分の歩調を崩す気は無かったので、いつものように目的地までさっさと歩いた。そこへやっと辿り着いた棗は、小走りで来たのか息が上がっている。
「…好きにすると良い。」
「はい。」
横に並べば、星空は降るように美しい。しかし隣の麗人もまた、棗の視線をさらう。白銀の髪も、抜けるような肌の色も、その身にまとう肌が透けそうに薄い袍も、全てが闇の中に浮かび輝く。
「白楊さんは綺麗ですね。魔物の人はみんな、美しくてびっくりします。」
白楊が棗を見た。その薄桃色の瞳は透明に澄み、色がないように思えるほどだった。
「お前は物怖じしないな。常は遠慮がありながらも大胆だったが、それもまたあの者の良い部分だ、魔物と付き合う術を心得ている。」
「…ごめんなさい。ここに立つのは遠慮するべきでしたね。」
「良い。私が許した事だ。お前には、お前の良い部分がある。常を真似ろと言うておるのではない。」
「はい。」
黒鉄が離れた場所で、二人を伺っているのを棗は知らない。白楊がそれを煩わしいと思うのは、棗の所為ではない。
何故か昔からそりが合わない。黒鉄はそれを露ほども気にしないのもまた、白楊の癪に触る。妖力は五分、片や人を好み、片や人を嫌う。片や自由気ままで、片や仕事が忙しく気楽とは縁遠い。
「白楊さん、僕は仕事がしたいんです。もう少し大きくなったら、何か仕事をさせて貰えませんか。下働きでも、何でも良いんです、」
「仕事か、」
紅丸に頼まれて始めた仕事だが、嫌いな訳ではない。寧ろ、性に合っている。おかげで退屈せずに永い時を過ごして来た。
しかしここへ来て、燃え尽き始めている気持ちに気付いた。これが失くした恋から来るものなのか、それとも単に仕事に飽きたのか、生に膿んだのか…。
「そうだな。お前が学ぶべき事を学び、もう少し育ったならば、私の側で働く事を許そう。大学へ行く気があるか?」
「あの、でも、今まで何の学校にも行った事がないんです。きっと中学から行かないとならないと思います。その分の学費なら貯金があるから何とかなると思うんですけど、大学までは無理です。」
四国の学校の制度は統一されていて、基本的な学問を学ぶ小学を五年間、応用を学ぶ中学を五年間、専門的な分野を学ぶ大学を五年間と最長で十五年間を学ぶ事が出来る。
どの学校も何歳からでも入学する事が可能だが、その際には試験を受け合格出来なければ入学は叶わない。飛び級制度もあるので、もし入試や進級時の成績が良ければ、学ぶ年数を減らす事も出来る。
「では試しに、次の入学試験を受けてみろ。西国の経済大学へ合格する事が出来れば、学費も生活費用も全て出してやろう。そうなれば果ての屋敷を出て、常の側を離れる事になるだろうが出来るか?」
西国の経済大学とは、四国の中で最難関の名門大学だ。その大学を卒業すれば、どの企業でも一目置かれる。
「分かりました。合格目指して勉強します。」
「良い心掛けだ。勉強の為に必要な物は、赤月へ手配を伝えておこう。明日には揃うだろう。」
「ありがとうございます。」
深く頭を下げた。棗は、この報告を黒鉄や常に早く伝えなければと、失礼しますと再度頭を下げて浜辺を走った。
遠くに立つ大きな姿を認めて、黒鉄の名を呼ぶ声が遠ざかる。やがて、二人分の気配は建物へ入って行った。
白楊はまた海を眺める。こうしていれば不思議と気持ちは凪ぎ、心は静かになる。
「早く育て棗、」
本音を言えば、棗と黒鉄がここを去ったらもう消えるつもりだった。最後ならば常の願いを聞こうと、それで黒鉄をこの地に呼ぶ事を承知したのだ。
不意に、白楊は斜め後ろを流し見た。気配もなく近付くのは得意な者なのだ。
「何だ、赤月。仕事ならば既に終えておるぞ、」
「知っております。と言うか、仕事のし過ぎですよ。少し休んで下さい。」
「ふん、珍しい事を言う。」
「眠らずとも死なない身でも、神経は磨り減りますよ。偶には何も考えずに深く寝るべきなんです。私が枕元で歌でも歌いましょうか、それとも話を聴かせましょうか、」
常の懐妊がそれ程に堪えているのか、主人は最近横になる事がない。浜辺に立つ時間も長くなり、やがて入水してそのまま消えるのではないかと赤月は危惧している。
「お前は休んでいろ。」
「休めると思いますか。白楊様を見張っているせいで、私もこのところ不眠不休なんですよ。だから、一緒に寝ないかと誘っているんです。」
「下手な誘いだ。」
「ですが、私の歌も話もそう悪くはないでしょう。」
「そうだな、試してみても良い。」
赤月はネクタイを掴まれて、主人に引き寄せられても文句は言わない。魔物同士のくちづけは冷たく、温もりなどないが、それが欲しい夜もある。きっと、今夜がそうなのだ。
「部屋へ行く、」
「はい。」
白楊が歩き出したので、いつものように下がって道を譲ろうとした腕を掴まれた。赤月の瞳が驚きで開く。猫目は瞳孔を広げ、黒く丸い形になって主人を見詰める。
「共に並んで歩け、」
「…はい。」
赤月は腕を握られたまま、素直に横へ並ぶ。瞳はずっと開かれたままで、笑顔を形作るのを忘れて歩いた。
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