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ある晴れた、春の日の宴
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棗は毎年七月に小、中、大学一斉に行われる入学試験へ挑む事になり、猛勉強の日々を過ごしていた。あっという間に時は過ぎ、庭の枝垂れ梅が咲き誇る春を迎えた。
「紅丸さん、トキワ、支度出来たって緑太さんと黒鉄さんが待ってるよ。」
棗が牡丹の間の前に立ち、縁側から声を掛ける。常の悪阻は、腹が大きくなるにつれて治まり、最近では薬湯に頼らずとも良くなった。今日はその事もあり、庭の枝垂れ梅を眺めながら昼間の花見と洒落込む事になった。
「ああ、今行く。」
紅丸が煙管を袂にしまう。先に立ち、常の手を取り障子を開けた。途端に、あの南国のハーブの香りがするすると外へ向けて漂い出す。土産で貰って以来、紅丸はこの煙草を愛喫している。そうすると、愛しい人はいつもよりも側により、無意識のうちに顔を寄せて来るので色々と都合が良い。
「わあ、蝶に鳥…梅見に合わせてるの?素敵だねえ。」
淡い黄檗色の着物に蝶が舞い、半襟と帯揚げは爽やかな天色で本日の空を写している。瑠璃色の鳥が織られた紅色の帯は立て矢結びと、相変わらず可憐だ。
「花にとまるようにって、緑太が選んで着せてくれたんだ。俺には女性用の帯は複雑で、まだ上手く結べねえからさ。」
紅丸の寵愛振りが反映しているのか、緑太の趣味なのか、常の知らぬうちに着物はどんどん増えて専用の衣装部屋まである。一度それとなく、もうこれ以上増やさない様に願い出たが無駄だった。
「確かにね、僕には女の人の着物は複雑過ぎて到底無理だろうな。」
話しながら縁側から降り、広い庭を三人で歩く。棗は最近随分と背が伸びて、顔も大人びて来た、常の身長に追い付くのも時間の問題だろう。視線を下げて、紅色の帯に隠された膨らみを見た。そこだけが唯一、妊婦である事を知らせている。
「少し目立つようになったね。丁度半分くらいの時期かな、」
「そうらしい。何ていうか、毎日少しづつ増えるから気が付いたらこんなだし、改めて見ると我ながらびっくりすんな。」
「常が産む頃は、棗は西国だろう。大学が始まるあたりだな。」
棗が大学入試に受かれば、九月の入学に合わせて八月にはここを離れる。
「合格すればだけど、」
「それはきっと大丈夫だろ。ナツメは努力家だからな。無事産まれたら、西国に使い魔を送る。なあ、紅丸。」
「ああ。紅色の蝶を使いに出そう。」
「うん。楽しみにしてる。」
やがて三人は、敷物を敷いた上に座して重箱を広げて行儀良く待つ緑太と、花びらの浮かんだ酒の盃を傾けて寝そべっている黒鉄に合流した。
「遅くなってごめん、」
常は身重で歩き辛いので、如何しても歩調はゆっくりとなる。それで、待ちくたびれてしまったのではと詫びた。
「いいえ、遅くなど御座いません。花見の席は、時間を気にせずゆっくりとしたものです。」
緑太が、菜の花色の瞳を細めて優しく微笑む。三連の星が長い前髪をまとめている。最近は、こうして髪を上げることが多くなった。
「あ、黒鉄さん、もう飲んでるの。」
「花見は無礼講と決まってる。お前も飲むか、」
「ううん。僕はまだ飲める年じゃないよ、十七歳になったらね。」
棗は緑太の隣に座り首を振った。正確に年齢は分からないが、戸籍上は現在十六歳という事になっている。法律では十七歳で飲酒が可能だ。
「ああ、酒!良いなあ。俺も飲みてえよ、」
羨ましげに、黒鉄と一緒に飲み出した紅丸を見るのは常である。弱いが、酒は好きなのだ。
「後暫くの辛抱だよ。ほら、食べよう。すごいご馳走が並んでるよ!」
棗に皿を渡されて、常も重箱を見ると目が輝く。色鮮やかな手毬寿司の重、出し巻き卵や薄味の煮物に和え物の重、淡雪寒天や練り切りの菓子まで揃っている。どれもこれも、好きな物ばかりでどれにしようかと迷う程だ。
「さすが、緑太。豪華だなあ。」
「喜んでいただけて良かったです。今日は常様の祝いでもありますから。」
枝垂れ梅は、紅と白の枝を垂らして一同の座に文字通りに花を添える。柔らかな日差しは、魔物にも人にも平等に春の恩恵を与えた。
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