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東の台風
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それは、突然やって来る。
「はい…………………私が来た時には、もう……………」
繁華街の明かりが空を照らす、夜。
そのビル群を隔てた裏路地は、しっとりとした落ち着きを払う。
見覚えのある、街並み。
ここで昼間、大和達は汚ない裏社会を垣間見た。
高橋を苦しめた黒河との、十数年振りの再会。
世の中の不条理さに、若き大和は苦しんだ。
あれから数時間後。
真っ暗なビルを見上げ、一人の男が現状を報告していた。
「ええ…………………こちらで用意した用心棒達は、皆ロープで縛られ、身動きすら出来ない状態です」
隣のビルのモダンなバー。
そこの看板に飾られた、僅かなイルミネーションが点灯し、スマホを持ったその男を浮かび上がらせた。
「…………………………申し訳ありません、ヤン様」
ヤン様。
それを口にする、身なりの美しい中国人。
スーだ。
黒河と連絡の付かなくなった事を怪しみ、様子を伺いに来たのだ。
食えないジジイだと思っていたが、こんなに早く結果が出るとは予想外だった。
「ただ、黒河の痕跡は…………………」
普段は淡々としているスーが、珍しく言葉を濁す。
手段を選ばないヤンの下に付き、残酷な場面に慣れた筈の自分が、ゾッとした事が一つ。
ゾッとした。
何年振りだろうか、そんな事。
『痕跡は……………………どうした、スー』
電話口で語尾を強める、ヤンの声。
スーは、ハッとしたように顔を上げた。
「失礼しました……………それが、あまりにも綺麗で」
綺麗。
ビルへ入ったスーの目に、焼き付いた光景。
「まるで、黒河が存在さえしなかった様に、全て無くなってました。黒河の姿は勿論、新調した家具やパソコン、電灯に至るまで………………何もかも。我々が入る前のビルに戻ってました」
生きているのか、死んでいるのか。
それさえも、わからない。
黒河と言う人間が、この世にいたのかも疑いたくなるような、無の世界。
「はい、はい………………そうです。相手は確かに、竜童会の連中だと…………………ですが、一人……………用心棒達の目に、ヤクザではない者がいたと。それも、相当な強者だったらしく、全く歯が立たなかったとか。竜童会の連中が帰った後、その男の部下らしき人間達が現れ、用心棒達全員に目隠しをし、物音があまり立たなかった内にもぬけの殻になってしまってたと、皆が口々に……………………」
不覚だった。
そんな仲間が、竜童会にいたなんて。
完璧な後始末。
まともじゃない。
「次の一手もありますが、少し調べてみます」
スーは手にしていたスマホを耳から離し、険しい表情を見せる。
ヤクザを差し置いて、それをやってのけてしまう程の男。
ヤクザを差し置いて…………………。
「一体、何者だ……………………」
見上げた空に、広がる靄。
いつの間にか、吐く息も白い。
寒い冬が、訪れる。
冷え込む夜風に気を引き締め、スーは来た道を帰ろうとスマホごと、冷えた手をコートのポケットへ入れた。
「劉組織、新首領ヤンの側近スー」
……………………………っ!?
心臓が、激しく波打つ。
突如、暗がりから聞こえた男の声に、スーの顔色は変わる。
咄嗟にスーは、片手をスーツの下へ忍ばせ、懐へ隠している拳銃を握った。
この私が、気付かなかった…………………!?
「遅いな………………………チャイニーズマフィアの精鋭は、その程度か」
「なに…………………………」
街の灯に反射し、僅かに見える相手の手元。
拳銃。
自分は、もう標的になっている。
スーは、撃たれる覚悟で目を凝らした。
常に神経を張り詰めてるつもりだったが、気配を感じられなかった。
「誰だ……………………貴様……………」
「誰……………………?そないな事は、お前が調べる事やろ。俺は調べたで…………………お前を」
「え…………………………」
だから、ここへ来た。
そう言われた気がした。
「調べた………………………私を…………」
「竜童を、ナメな」
「…………………………は」
「無駄に殺しはすな言われとるから、今夜は逃がしたる………………でも、気ィ付けや。お前らは、親父を本気にさせた。真の恐ろしさは、これからや」
パパァ…………パァ………………
遠くでクラクションの音が鳴り響き、後方のカーブを曲がってくる車のライトに、初めて男の顔がスーの視界に映る。
涼しげな眼差し。
美しく端整な顔立ちだが、感情の微塵も見受けられない無表情な姿。
それが、この男の普通。
飼えるのは、嵩原のみ。
竜童会密偵リーダー、春名亨だ。
表の高橋、裏の春名。
春名の仕事もまた、完璧。
春名は嵩原に命じられた通り、早くも裏で蠢くスーの正体を炙り出し、ここへ足を踏み入れていた。
「…………………………警告はした」
冷めた目でスーを見据え、春名は呟く。
警告。
「警…………………………」
ブォン……………ブルブルブル………………
スーが、それの意味を春名へ聞こうとした瞬間、近くに停めていた大きなワンボックスカーにエンジンがかかり、スーの顔へそのライトが当たった。
「…………………………っ!」
思わず手をかざし、ライトを避けるスー。
ブォォォォ………………………
すぐ脇を通って行く、ワンボックスカーの音に聴覚を遮られ、スーは二感を失う。
男は………………………っ!?
慌ててスーが手を振り下ろした時、もう数メートル先を歩くリーマン数人しか見えなかった。
「………………………ヤられた」
だが、口からは深い溜め息。
首筋には、一筋の汗。
汗。
柄にもなく、緊張していた証。
春名の消えた道を見つめ、スーは自分達が挑んだ敵の片鱗を覗く。
初めて見る顔。
黒河を消し去った謎の男と、今の男。
自分の知らない竜童会が、まだあった。
「真の恐ろしさ……………………何だ、それは。我々が、ヤクザに負けるとでも言うのか………………………」
次々と明かりを増やす街。
闇を消し去る様なその明かりにも、照らせない影がある。
照らせない影。
そこを照らす勇気が、お前にはあるか?
いまだビルの前から動けないスーに、街へ潜む影達が、そう問いかけているように見えた。
そして、夜は明ける。
どんなに苦しい一日も、どんなに求め合った一日も、朝日が顔を出せば、また新しい世界が始まる。
一斉に街は光に包まれ、昨日と違った今日になる。
昨日と違った………………………。
「腰………………………痛ぇ…………………」
いや、違わないものもある。
お天道様が真上に昇る、真っ昼間。
思い切り、昨日を引き摺る者、約一名。
オシャレな店が建ち並ぶ一角で、大和は腰を押さえ踞る。
腰、痛ぇ。
昨夜、酷使し過ぎました、腰。
「若……………………大丈夫ですか?」
その脇では、大和を心配し、身を屈める伊勢谷の姿。
珍しいツーショット。
今日の大和のお供は、どうやら伊勢谷らしい。
キラキラしている綺麗な瞳を曇らせ、優しく大和の背中へ手を添える。
キラキラ。
とても目立つ、伊勢谷の美しさ。
行き交う女子達は、この美人と踞るイケメンの珍妙な光景に自ずと目が奪われる。
「今日の定例会会場下見…………………やっぱり止めときましょうか……………………」
定例会会場下見。
今日、大和は幹事の一人伊勢谷と、そこの料理を食べる為に出て来ていた。
関東支部立ち上げ後、初の定例会。
舌の肥えた幹部達に、不味い料理は出せない。
料理一つ、嫌でも気合いが入る。
気合…………………………。
「だ、だ……………………大丈夫や…………………折角、学校早退してまで時間作ったんやし、ぃ……………行くわ」
重症である。
激しかったもんな、昨日の二人。
今思い出しても、顔が赤くなる位求めまくりましたから、父親を。
イカれてる。
わかってるけど、止められなかった。
何度も何度もせがんで、その全部に父親は応えてくれた。
愛されてるって、実感したものだ。
ただ、それを成し遂げた父親は、今朝もピンピンしていたのだが………………………。
「ホンマ、化け物や………………………あいつ」
ええ、色んな意味で。
大和は近くの街灯に手を突き、父親の暴れん坊振りに、下半身の限界を悟る。
死ぬかもしれない。
「でも………………昨日、腰痛めとりましたっけ?若」
ドキ。
「なんや、一晩でこないに痛めはるって………………えらい酷使されはったんですか?」
ドキドキ。
美人は、悩む姿も美人。
首を傾げる伊勢谷の美しさに、とてもじゃないけど言える訳がない。
親父とヤり過ぎました…………………なんて。
「あ……………ああ…………ん……………アレや、アレ。ギ、ギックリ腰や………………ギックリ腰。朝、変な起き方したみたいでな………………ちと痛めてしもうたわ」
ゆっくりと街灯を伝って立ち上がりながら、大和は体の良い理由を見繕う。
ギックリ腰。
17歳だって、するだろう?
「ギックリ腰……………………そうなんですか………………すみません……………………私はてっきり、昨晩どなたかと頑張られはったんかと思うてました」
………………………は。
「若、おモテになりますから」
伊勢谷の満面の笑みに、何とかギックリ腰を引っ張り出した大和の心は、見事に打ち砕かれる。
「ぃ………………伊勢…………………」
「高橋さんに、山代さん…………………お側におるだけでも、とびきりのええ男が若を好いとりますし」
高橋さんに、山代さん。
高橋さんに、山代さん?
「ぇええっ!!お、おま……………し、し、知っとったんかぁぁぁ…………いっ!!痛っ……いてててっ!!」
忙しい。
あまりの驚きに、身体を仰け反ってしまった大和は、更に腰を痛める。
「若………………………っ」
伊勢谷に支えられ、つい涙がホロリ。
「あかん、俺…………………マジ死ぬな」
ヤり過ぎで。
「申し訳ありません………………要らん事言いました」
大和の身体へ手を回し、伊勢谷は綺麗な顔をシュンとさせる。
綺麗な顔をシュン。
男って、美人には弱い……………………男だけど。
だから、大和も慌ててフォローに入る。
「い、いやっ……………別に、伊勢谷が謝る事やない。ちょっと、ビックリしただけや…………………まさか、バレてたなんて思わへんかったから………………」
そうそう、思わなかった。
高橋と山代。
組の中でもやり手の二人の心中を、見破るなんて。
度々、迫られてはいますが……………………。
「あ………………そこは………………私、ずっと一人で動いてたんで、人の心情を読み取るのは得意なんです。何か起きても、身を守るのは自分だけ………………相手の動きが読めないようでは、命に関わりますから。自分でも意識しないうちに、つい人を見てしまってて…………………」
「伊勢谷………………………」
密偵の性。
嵩原の命令一つで、生死の関わる事でもやってのける。
無意識に神経は研ぎ澄まされ、洞察力も磨かれた。
高橋に育てられ、あの春名の下に付いた伊勢谷は、その美しい外見からは想像がつかない潜在能力を秘める。
「ですが…………………お二人の事は、勿論誰にも言うつもりはありません。若が、誰をお選びになろうとも、それは素敵な事です…………………私は、応援致しますので」
「え………………………」
それがもし、親父様でも…………………?
もう、選んじゃってますが。
伊勢谷の笑顔に顔を赤らめ、大和は言葉に詰まる。
伊勢谷も、父親に助けられ、高橋にこの世界の事を教え込まれた。
二人を大事に想っている事は、大和もよく理解している。
やっぱり、言えない。
大和は少しずつ身体を起こし、伊勢谷から手を離した。
「ありがとうな、伊勢谷……………………お前がそう言うてくれたら、なんや嬉しいわ」
「すみません。花崎が急用やなかったら、こないな話ようせんのですけど……………………少し、ハメ外し過ぎました」
「まあ…………………確かにあいつがいたら、今の数十倍は騒がしいやろうからな……………………」
確実に。
野郎しか登場しない恋バナだが、そんな話でもしたら発狂しそう。
「せやけど……………何か、伊勢谷を知れた気がする」
「知れた………………………?」
「いつも周りの連中が濃いから、伊勢谷は大人しい思うてたけど、結構言うな?お前………………その美人顔でズバズバ言うさかい、俺んがドキドキしたわ」
「ぁあ………………………」
恥ずかしそうな、耳まで赤い伊勢谷の戸惑う様。
ハーフの様に美しい表情で、透き通る白い肌が赤く染まる姿は、やけに色っぽい。
父親との事は言えないが、こんな伊勢谷を知れて良かったと、大和は思えた。
「たまにはええな…………………皆で行動するより、二人で動く方が其々がようわかる」
「……………………………若」
皆をよくわかっている父親に近付く為には、多分こんな所から変化が必要なのだろう。
「メシ……………………食いに行こうか。今日は、伊勢谷デーや」
「クス……………………はい。では、店は直ぐそこなんですけど…………………予約時間よりは少々早いんで、もう入れるか、ちょっと確認して来ます」
伊勢谷デー。
その言葉に伊勢谷は嬉しそうに笑うと、先に見えるモダンなビルを指差して、駆けて行った。
大きな座敷があるとは聞いていたが、関東支部総勢70と数名の大所帯。
しかも、ヤクザ。
予約一つ取るのも、大変だったろう。
「高橋の事ばかり考えて、他が疎かになってたわ」
愚痴くらい、言ってくれていいのに…………………。
大和はなんとか自力で歩道に立ち、青々と爽やかさをさらす空を見上げた。
「こんなんで、親父の全てが知りたいなんて……………よう思うたわ………………………」
目の前の事さえ、いっぱいいっぱい。
自力で立つのも、やっと。
安道や高橋には、どうやっても勝てない。
「俺になんか…………………見せてくれんわな……………」
漏らす息も、小さくなる。
好きだけじゃ、どうにもならない事もある。
好きだけじゃ………………………。
「サクさーんっ!車持って来ましたよぉ♪帰りましょうかーっ」
忘れてました、自分の居場所。
真っ昼間の賑やかな、街中。
悩む人もいれば、楽しんでる人もいる。
当然、父親を想い悩む大和の背後でも、陽気な叫び声は上がる。
「えらい明るい声やな…………………ええな、陽気で」
今の自分と正反対。
大和は、後ろの店のドアが開いた音に反応し、誰かは知らないが『サクさん』が出てくるのだろうと、邪魔にならないよう身体を若干ズラした。
サクさん。
呼び方からして、いい歳したジジイか?
そんなどうでも良い事を、考えたりしながら…………。
「ああ、今行く………………」
今行く。
おや、意外と声は若いじゃん。
わざわざ振り返りはしないが、大和の頭の中は、既に『サクさん』の勝手な妄想が広がり始める。
サクさん。
ジジイはパスして、昼休みのリーマンってとこか。
「桜井様、今日もありがとうございました」
なんと、サクさんは桜井らしい!
桜井が、サクさん。
「センスねー呼び方…………………………てか、俺は暇人か!何、聞き耳立てとんねん」
伊勢谷を待つ、暇潰しにはなりますが。
大和は自分の妄想に呆れながら、痛む腰を少しだけ捻って様子を見た。
「っう………………………こら、帰って湿布…………………」
と、同時に後ろのサクさんも、身体を歩道へと向き直そうと動かした。
「店長さん。ありがとうございま………………」
ドンッ…………………………!!
「いぃぃぃ……………………っ!!!」
泣きっ面に蜂とは、この事だろう。
身体を捻った大和の動きと、店から帰りかけたサクさんの動きが、奇しくも重なった。
無惨にも、二人の身体はぶつかり合う結果となる。
まるで、身体中に電流が走ったよう。
大和は涙目になって、崩れ落ちていった。
もう無理…………………俺、完全に絶命………………。
ガシッ……………………………
「へ…………………………」
「大丈夫か……………………っ!?」
アスファルト目掛けて倒れかけた大和は、サクさんの片腕に抱き止められた。
決して小柄ではない大和の身体を、片腕。
それにも驚いたが、迫るサクさんの姿にもっと驚いた。
「お前、腰痛めてんのか………………………」
「………………………………な」
ジジイ撤回。
リーマン撤回。
ハッキリした二重瞼に、ややグレーかかった綺麗な瞳…………………高い鼻筋と、ほんのり紅い唇の整った顔立ち。
少し瞳にかかりそうな長めの前髪がまた、色気があった。
所謂、かなりのイケメン。
「悪い………………………俺のせいだ…………………」
申し訳なさ気な表情も、とても絵になる。
だが、それよりも大和を惹き付けたもの。
親父…………………………。
凄く似ている、大好きな父親に。
顔が……………とかではなく、なんと言うか、雰囲気そのものが。
親父かと思った……………………。
「なんで…………………………」
「え…………………………?」
大和は、自分を抱き起こすサクさんに、不覚にも見とれてしまった。
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