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生命の灯にしおりをはさみました!
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生命の灯
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協力してくれ。
そう言われてオトをうちに置くことになってから、一週間が過ぎた。
オトはおれが外出するときに一緒に外に出てどこかへ消え、おれの帰宅時にどこからともなく現れ、合流して一緒に帰る、という生活を繰り返していた。
おれが多忙すぎてあまり家にいないのも原因なのかもしれないが、おれは未だにオトがいう協力なんてものはしたことがないし、オトもおれを頼ってはこなかった。
それ以前にこの一週間、おれは一切オトに血を……つまり精気をやってない。
だからオトとは全く会話すら交わしていない。
おれ自身血をやることに抵抗がないわけじゃないけれど、オトが求めてきたら与える覚悟は出来ていた。
それなのに、オトはおれに媚びようともしないのだ。
正直、おれはすっかり拍子抜けしてしまっていた。
猫と人間が共存していくための協力、なんてスケールの大きいことを頼み込んでくるぐらいだから、もっと、こう、SF映画的な展開があるのかもしれないと身構えていたのに。
「なんだかなあ……」
脱力して、机に突っ伏す。
カウンター席に並んで座るこたが、ストローをくわえたまま首を傾げた。
「どったの?
また最下位とっちゃったの?」
「……今日は見てない」
「え〜日課だとか言ってたくせに。
見てみろよ、一位だったらやばいぞ」
とか言ってまた最下位だったらどうするんだ。
気乗りしないまま、ポケットからスマホを取り出してアプリを開く。
こたが身を乗り出して、横から画面を覗いた。
「あ〜八位かあ」
「……」
なんてぱっとしないんだろう。
これなら最下位をとる方がまだマシだ。
たまらず画面を切ろうとしたら、伸びてきた手にさっと取り上げられてしまった。
「水瓶座は何位かな〜?」
「変なとこさわんなよ……」
「だいじょぶだって〜
ん?あれ?なんか違うの出てきちゃった」
「なにしてんだよ」
取り返そうと手を出すが、すばしっこく避けられてしまう。
おい、と声を荒げたおれを遮るように、こたは画面に表示された文面を読み上げはじめた。
「今日は特別いいことも悪いこともない、穏やかな一日になるでしょう。
積極的に行動を起こすことで、マンネリの解消に臨みましょう。
おーじマンネリだって、マンネリ!
にゃはははっ!」
「このやろ〜」
「はうっ」
大口を開けて笑うこたの頭にげんこつをおとす。
隙をついてスマホを奪うと、こたは頭を押さえながら涙目でうなった。
「おーじの鬼い……」
「誰が鬼だ、誰が。
店の中でさわぐなよ」
「う〜ごめんにゃさい」
絶対ふざけてる。
なのに本気で怒る気にはなれないのだから、つくづく自分はこたに甘いのだと思う。
頭をさするこたに苦笑して、カウンター席から窓の外へなんとなしに視線を移した。
その直後、おれは硬直して目を見開いていた。
向かいの店の屋根に座るのは……オトだ。
こちらをじっと見ている。
おれと目が合うと、さっと身を翻して屋根の向こうにいなくなってしまった。
おれはガタッと立ち上がって、しばらくオトがいたあたりを見つめていた。
思い返してみれば、こんな風に外でオトの姿を見たことは一度もなかった。
たまたまオトがおれを見つけてなんとなく眺めていたのか、わざわざ捜しに来たのかは分からないけれど。
もしも後者ならば、おれはオトに会いに行くべきだろう。
でも、会いに行ったところでどうなる?
今のオトとははなしも出来ないし、おれを待ってくれているという保障もない。
それにこの後すぐ大学に戻らなくちゃならないし、こたをひとり店に置いて行くわけにもいかない……
迷うおれの隣で、注意したのに、こたがまた大声を上げた。
「おーじ、早速マンネリ解消?
おれ応援してるよ!
ふぁいとお〜いっぱーつ!」
「……」
何も分かってないくせに。
おれは苦笑する。
お前はいつも、無意識におれの背中を押してくれるんだ。
「ありがと。
金は今度返すから!」
「にゃはは、コーヒー代くらいおごってやるって〜」
カバンをひっつかんで、コーヒーショップを急いで飛び出す。
きょろきょろとあたりを見回しながらオトの消えた場所をたどっていく。
……ーー
人気のない路地にさしかかった時、微かな音色を聴いた気がした。
足を止めて、じっと耳を澄ます。
リン……
音として耳に聴こえているというより、頭の中に直接響いてきている。
初めてオトと出会ったときも、こんな感覚だった。
リン……
その美しい柔らかな音色に導かれるように、おれはそちらに向かって歩き出す。
細く狭い道を何本も抜け、昼間だというのに薄暗く汚れた路地の先へ進んでいくと、荒廃してツタのはった建物の隙間から、黒い影が姿を見せた。
青い眸は何かを訴えるように、おれをじっと見上げる。
やがて背を向け再び建物の間に滑るように消えていった。
おれは恐る恐る隙間を覗き込む。
普通に人間が通っても大丈夫だろうか。
つっかえるほど狭くはないようだけど……
「……」
ごくりと生つばをのどに流し込む。
意を決して足を踏み入れた。
しばらく進んで行くと、少し開けた空間に出た。
どうやら左右の建物の共通の駐車場のようで、錆びて壊れたフェンスを潜ってみると、割れたシャッターから微かに陽光が零れている以外には一切光の射しておらず、吐き気がするほどの閉塞感におれは顔をしかめた。
にゃあ。
「……オト?」
目を凝らすと、駐車場のすみに黒いかたまりが見えた。
いぶかりながらも、ゆっくりと近付いていく。
そこには、オトがいた。
そして、オト以外にも猫がいた。
にー、にー、としきりにか細い鳴き声を上げるのは、まだ産まれて間もない、小さな小さな仔猫。
数えてみると、五匹もいた。
それらは母猫の腹にひっついて、必死に乳首をしゃぶっている。
「こんなところで産んだのか……」
おれはしゃがんで、その生命の営みの様子をじっと眺めた。
その内に、微かな違和感に気付く。
「あ……」
よくよく見てみると、五匹いる仔猫の中で、ひたすら鳴き声を上げているのはたった二匹だった。
他の三匹は、眠るように母猫の身体に寄り添い、ぴくりとも動かない。
おれは母猫の眸をそっと覗き込んだ。
まぶたが微かに上下するのを見てから、やせ細りあちこち体毛の禿げた身体と、その傍らで、まるで母親に語りかけているかのように鳴く二匹の生命に目を移した。
「そっか……」
きっともう、母乳も出ないのだろう。
今、確かにおれが見ている前で、母猫は呼吸をし、仔猫は鳴き声を上げている。
けれどもうしばらくすれば、みっつの儚い灯火は、誰も知らないところで、ひっそりとその輝きを消すのだろう。
それは自然の摂理かもしれない。
それでも、こうして目の前に突き付けられてしまうと、抗うことは出来なかったのだろうかと、やり切れない想いが胸を焼く。
何のために産んだのか。
何のために産まれてきたのか。
この小さな生き物たちは、なにを思い、死んでいくのだろう。
まだ授かったばかりの幼い生命は、それすらも感じることの出来ないまま、ただただ、最期のときまで母親を呼び続けるのだろうか。
……たくさんの灯がひしめくこの街で、いくつの生命が、そんな哀れな生を終えていかなければならないのだろうか?
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