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184 寵姫にしおりをはさみました!
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184 寵姫
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南宮――――その奥の一室。
嘗ては王の寵姫たちが大勢過ごしていた「後宮」と言われるその宮殿に、何とも辛辣な声が響いていた。
「まぁ、随分と酷い天気ですこと」
窓の外を眺めて一人の妖艶な美女がその言葉を放った。
「ええ。本当に不気味ね……気持ち悪いったらないわ……」
もう一人の美女が呟くと、二人の美女はお互い顔を見合わせ「イヤだイヤだ」と笑い合った。
この世のものとは思えない、雨が齎す絶景を見て、こんな汚い感情しか出てこないのか……と、そう傍らで聞いていて酷く虚しくなったが、すぐ結論づける。
この人たちと私は、目に見ているものがきっと違うのだ。
「それで、リディ。陛下はまたあの男娼の所に入り浸っているのかしら?」
あんなにも儚くて美しい少年を、知りもしないであろうことか『男娼』と罵る不快な言葉に、 無意識に目尻が痙攣する。それでも決して表面の笑顔だけは崩さなかった。
彼女たちは、嫌味を言うしか楽しみがない、可哀想な女たちなのだと、必死に笑顔を貼り付ける。
「あらあら、ダメよベイルト。リディは男娼に誑かされている、可哀想なサディ様の妹君なのよ? すぐ告げ口されてしまいますわ」
この妖艶に笑う美女はレノワール。
私の従姉妹に当たる人で、蒼の一族でも有名な美貌を誇る人物だ。
レノワール・ディ・ファリス(星の宝石のような美女)と謳われる女性だったが、実際は高飛車で負けず嫌い。膨大な値打ちがするわりに、つける相手を選ぶ。
「お可哀想なサディ様。陛下と同じように誑かされてしまって……ふふ」
そしてもう一人の美女、ベイルト。
紅の一族で最も権力のあるグラン公爵の孫娘。ベイルト・リ・セシル(花のように華やかな美女)と褒め称えられる女性だったが、その愛らしい声で紡がれる言葉は辛辣な毒棘だ。
「いやですわぁ〜もう、ベイルト様も、レノワール様も!」
イズミのことも兄のことも、平気で罵る彼女たちは、嘗ては寵姫として地位を築いていた。
「わたくし、陛下の“元”寵姫の方々が、陛下にご寵愛されている水神様の悪口を言っただなんて……恐ろしくて誰にも言えませんわ! こんな美しい方たちが血祭りになる姿なんて見たくありませんもの……!」
彼女たちの嫌味は日常茶飯事だから、いつもは笑って誤魔化して、決して歯向かうことはしなかった。
けれど今日は、いつもと違って外が絶景だったのだ。こんな素晴らしい景色を齎してくれたイズミに対して、醜い嫉妬を示す彼女たちが許せなかった。
だからつい、噛み付いてしまったのだ。
「元、寵姫ですって!?」
ベイルトが顔を醜く歪ませ、真っ赤になって睨みつけてくる。
しまった……と後悔しても、その後悔をに出すわけにもいかない。
「まぁベイルト様……可愛いらしいお顔が台無しですわ……」
そして己が罰せられることよりも、元寵姫という言葉の方が彼女たちの癇に障ったことにほとほと呆れてしまう。
「陛下は随分前から、「寵姫はもういらない」とおっしゃられているんですもの……。ベイルト様も、レノワール様も、陛下のお慈悲に縋ってる、本当……悲劇のヒロインのようにお可哀想な方たちですわ」
――――イズミが来る前の王は、性が奔放だった。
水神の選定が下る前は、自薦他薦を問わず身分や美貌を持つ女性たちがこの南宮に集められていた。
水神の選定が下り、イズミを保護したあと、国王はほどなくして後宮を閉じる命を下した。
手付かずの者たちは故郷へ。お手つきの者は貴族との縁談が結ばされたり、修道院へと下がっていった。
それでも未だ城に留まる数人の女性たちがいた。
惨めな矜持。残った所で陛下の寵愛はもう受けることはないのに……。
彼女たち二人も、その数少ない中の女性たち――――というよりも、まさにその中心の人物たちだった。
「万が一水神が現れなかった時のため」として、何人かの女性は自らの意思で南宮に残っていた。
特にこの二人は、国王とのお褥の回数が多かったのだ。
豊満な肉体と美貌。夜も娼婦のごとく手練れていたという。確かに、遊びで通うのには丁度良かったのだろう。
そこに、貴族である後ろ盾で矜持ばかり高くなった。それでも頭は空っぽなのだ。貴族の世間話(ゴシップ)を好み、難しい話には共感と相槌だけを繰り返す。勿論、国王の前じゃこんな風に顔を歪めたりなどしないのだ。「気に入られている」と、矜持を掲げるのも無理もない。
(全く陛下ったら、もっと後腐れない者を相手にしてくださればいいのに……)
先ほどまでベイルトの祖父のグラン公爵が来城していたから、世継ぎを残すのだと余計に気持ちが高まっているのだろう。
ベイルトは同じ年で学院ではよく席を並べていた。
でも性格的なものが合わずに殆ど話をしたことはなかった。ただ学院の成績が私の方が上だったので、よく突っかかてこられていたのは記憶にあった。
そして、レノワールもまた同じ。従姉妹でもあるせいで、昔から顔を合わせることが多かったが、親戚だからといってそんなに仲が良かったわけではない。
それは女社会独特の嫌味が渦巻く世界ならではのことで、どちらが美しいか、どちらが優れているか、そんなことばかり争っているのだ。
年が近いということもあり、私の母もよくレノワールと私を比べていたものだ。
そして二人は、元々『王の妻の座』を狙うような考え方をしていた。その頃から『王に仕えたい』と思っていた自分とは大きな隔たりがある。
(ほんと、お可哀想な方たちですこと……)
確かに、イズミがこの城に来てからもハリルはここを訪れ、何度か彼女たちと関係を結んでいた。
でもそれは、本当最初の頃だけ。
イズミが幽閉室から水神の部屋に移ってからは、もう王はここには来ていない。誰の目から見ても、王の心はイズミにあるのだ。
「リディ、元……なんて言っていいのかしら? ヴァン様が行方不明になられた今、後継をご用意する必要があるのではなくて?」
そう。確かに王の従兄弟であり、王位継承権一位であるヴァンの行方は知れていない。
「……大変ですわね。レノワール様 も、ベイルト様も」
そう、心の底から同情する。
元は正妃の座を狙っていて、以前は「妻になるのだ」と声を荒げ、寵姫を蔑むような発言をしていたのに。
もしかすると、彼女たちの目標が「正妃」から「寵姫」の座へと変わってしまったことで、とっくにその矜持は崩れ去っているのかもしれない。
だからこうして、余計醜く足掻いているのだろう。
水神が現れた以上、子を残したとしても決して「正妃」にはなれないのだ。
そして国民は皆、圧倒的な存在の水神を信仰する。
そうなると、腹を貸すだけ寵姫の存在は、ますます惨めではないか。
イズミを罵られた怒りは、みるみる冷めていく。
(もう、陛下の心はここにはないのに……)
根拠のないその自信と無様な矜持で、彼女たちは自らの華やかな人生を惨めにしているのだ。
いや寧ろ、「愛されていない」と自覚することこそが、彼女たちの矜持が許さないのだろう。
「下がりなさい。リディ。不愉快ですわ」
そうレノワールに命じられる。
「はい」
恭しく頭をさげるが、彼女たちの怒りは収まらないようだ。
「最初、貴女が女官になると言った時は驚いたけど、そうやって頭を下げてる姿を見ると気分が良くて嫌いじゃなくてよ。とってもお似合いだわ」
「ほんとですわね。でもね、私が身篭った暁には、貴方はその職を辞すことになるのよ。さっきの侮辱、忘れはしませんから」
「はい。肝に命じて起きますわ」
ニッコリと微笑み返せば、彼女たちは唇を噛み締める。
(子供を身籠もる前に、先程の男娼発言を陛下にお伝えするまでですけど)
紅蒼両公爵家の醜聞を広めることになってしまっても、イズミに対して悪意を持つ人物を寵姫に置かせるつもりはない。
(女官長のわたくしを、甘くみないことね……)
「失礼致しました」
もう一度満面の笑みで微笑み、頭を下げて部屋を出る。
嘲り笑うようなその視線を背に受けていても、心が痛むことはなかった。
背中で閉じた大きな扉。
無意識に気が張っていたのだろう。大きな溜息を一つ吐いた。
ドロドロとした、汚いものに汚されたような気分だったけれど、目の前に広がる景色を見てほっと胸を撫で下ろす。
「…………ほんと、綺麗ですわ……」
この光景は、荒んだ感情を洗い流してくれる。
国中がこの景色になっていたとしたら、なんと素晴らしいことだろうか。
「綺麗ですね」
一歩踏み出そうとしたころで、背後からそう声をかけられた。
この国では珍しい色の……白髪。そして、黒い瞳。
「リディ様……女官長の方ですよね……?」
寵姫の中でも、群を抜いた美しさを持つ少女だった。 水神降臨の剪定がくだった後、南宮に上がった彼女は、この城に残る女性の中で唯一、ハリルの褥に侍ることがなかった少女だ。
「えっと、確か……」
彼女の名前は、なんだっただろうか。凄く、珍しい名前だった筈だ。
「……ユキエ、様?」
言い慣れない発音。まだ成人も迎えていないであろう娘は、嫌に落ち着き払った雰囲気で微笑む。
「はい」
なんとも言えない、儚げな印象。
「フジモト、ユキエと申します。よろしくお願い致します。リディ様」
そう穏やかに微笑む彼女は、どことなくイズミに似ているような気がした。
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