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告白:価値観
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美奈子が差し出してきたのは、美奈子の家の鍵だった。
「迎えに行ってあげて」と微笑む美奈子とは、店の前で別れた。最寄りの地下鉄とは反対方向に進んでいく彼女の赤い傘を少しだけ見送ると、真一は踵を返し地下鉄の階段を降りていく。
美奈子が作ってくれた時間を、無駄にするわけにはいかない。これ以上、迷惑は掛けられない。
地下鉄に乗り、美奈子の家がある駅に降りると、真一は傘をさして走った。
美奈子の彼氏役を演じていた時に何度も通っていた道は、しっかりと脚が覚えている。
3日前、平助もこの道を通ったんだ。
あいつは一体、何を思いながらも、何を考えながらこの道を通ったんだろう。
そしてどんな理由で、この道を帰れなくなったんだろう。
美奈子は、平助から真一のことが好きかと尋ねられたらしい。
走りながら、平助のことを考えた。
一体あいつは何を考えているんだろうか。
自分のことを好きだと言いながら、一緒にいたいと言いながら、あいつは何故、あんなことを美奈子に言ったのか。
早く平助の顔がみたい。平助に会いたい。話がしたい。理由が聞きたい。
(……俺は、平助のこと、何も知らないな)
§
美奈子が住むアパートにつき、階段を昇る。
ドアの前で、真一は息を整えた。大きく息を吸い、そして吐く。美奈子から渡された鍵で、そのドアの施錠を外した。
開けた瞬間、甘い香りが鼻孔を擽る。母親が来た日、押し掛けてきた平助が美奈子と共に部屋の中に突入してきた時に美奈子からした匂いと同じだった。
美奈子の靴は、すべて靴箱に片付けられている。平助が愛用しているクロックスだけが、玄関脇に置かれたいた。
平助は中にいる。真一は、出来るだけ音を立てないように靴を脱ぐと、明かりのついたリビングに向かった。
リビングのドアを開ける。白とピンクが基調となった、片付けられている女性の部屋が広がる。
ドアに対して背を向けるように、白いソファが置かれていた。そのソファに座り、テレビを見ているスエットを着たハニーブラウン(根本がだいぶ黒くなっているが)の後頭部が目に入る。
平助だ。
「おかえり~美奈子ちゃ……」
リビングのドアが開いたことで、家主が帰ってきたのだと思った平助は、背凭れに凭れかかりながら、顔を上げて後ろを見た。しかし、逆さまから見ても到底美奈子には見えない真一を見て、言葉が止まる。
真一と目が合うと、真ちゃんか、と呟き、上げた顔を元の位置に戻した。
頭をかく。
「不法侵入なんじゃな~い?」
「美奈子が鍵を貸してくれたんだ。部屋に入る許可は貰ってる」
真一がそう言うと、平助は「そーですか」とぶっきらぼうに答えた。
真一は、ゆっくりと平助に近付く。
「お前、美奈子に何言ってんだよ」
声が低くなった。
「何って?何も言ってないけど~」
「俺と結婚しろって、頼んだんだろ?」
「あ~、それか。話しちゃったのか~、美奈子ちゃん」
秘密ねって言っとくべきだったな~と、平助はケラケラと笑った。
真一の中でブチッと何かが切れる音がする。考えるよりも先に身体が動いた。平助の横に立つと、そのまま胸ぐらを掴んむ。力付くで持ち上げれば、平助も引っ張られてよろめきながらも立ち上がった。抵抗はない。グッと顔を近付ける。
真一は明らかにその怒りを表情に表し平助を睨むというのに、平助はいつも通りヘラヘラしながら、「痛いよ~」と言う。
「何怒ってんの~真ちゃん?3日間帰らなかったこと?美奈子ちゃん家にお邪魔してたこと?真ちゃんと結婚してって、美奈子ちゃんに頼んだこと?」
「全部だ。お前、何考えてんだよ?美奈子困らせてんじゃねぇよ!」
平助と額がくっつくほど接近した状態で、真一は低い声で凄む。そんなことで怯む平助ではないが、視線を真一から逸らした。
店から出る前に美奈子から全て聞いた。
真一と平助、そして美奈子であの喫茶店でお昼を一緒にした日、真一がトイレに立つと、平助は美奈子に言ったのだと。
『美奈子ちゃん、付き合ってる人がいないならさぁ。真ちゃんと結婚して、お嫁さんになってよ』
もちろん美奈子は断ったと言った。
その話を聞いて、母が来た日、あの本を見て動揺する母に対して平助がさらりと言いのけた言葉が真一の頭によみがえる。
『二人とも黙ってるから言わなかったけど、真ちゃんと美奈子ちゃんは付き合ってるから』
それは真一がゲイであることを誤魔化すために言ったのだと思っていた。
そして極めつけが、セックスをした後に、平助が言った言葉だ。
『真ちゃんには、美奈子ちゃんがいいと思うんだよね~』
ふざけてるだけだと思った。深い意味はないと。
しかし美奈子に、真一の嫁になって欲しいと頼んだというのであれば、話は別だ。
偶然なんかではない。3日前、真一のカミングアウトを止めたこと。『後戻りが出来なくなる』という言葉。
平助は、何か企んでいる。
「何考えてんだ?」
真一はもう一度、平助に低い声で尋ねた。
平助は逸らした視線を真一に戻すと、再び逸らし、そして頭をかきながら盛大に溜め息をつく。
「真ちゃんが幸せになるための、お手伝いをしようとしただけだよ~」
その言葉を聞いて、真一の中でまた糸が切れた。
こいつは何を考えているんだ。
こいつは自分のことを何だと思っているんだ。
怒りしかわいてこない台詞に、真一は平助の身体を乱暴にソファに突き飛ばした。
「お前は、俺のこと馬鹿にしてんのかっ!」
ソファは平助の身体を見事にキャッチし、平助もフローリングに落とされないようにソファを掴んだため、ソファの位置がカーペットと共にズレる。突き飛ばされた平助は、打った左肩をさすった。乱暴だなぁと、ぼやく。
「痛いよ、真ちゃん~」
「俺が男しか好きになれないこと知ってんだろっ」
「知ってるよ~。だから真ちゃんは、男の俺と付き合ってんでしょ?」
「だったらなんでっ、美奈子にあんなこと言ったんだ!俺の幸せの手伝いってなんだよ!お前っ、何考えてんのか、全然分かんねぇよ……っ!」
平助が美奈子に自分と結婚してほしいと頼んだことを聞いた時、真一のショックは思った以上に大きかった。ガラガラと、何かが崩れていく、そんな音が聞こえたような気がする。
誰にも話してこなかった性癖だ。不安を押し込めるために、あんな本にまで頼った。このまま一生、誰にも話さないつまりでいたのに、それを暴いたのは紛れもなく平助だった。
少なからず、平助は自分の性癖を理解してくれているんだと思っていた。平助自身も、男を好きになることが出来る。同性を好きになることを、分かってくれているんだと思っていた。それなのに、女性の美奈子にあんなことを頼んでいたと知って、裏切られた気がした。怒りが込み上げてきた。
全く悪びれもしない平助が、あれは冗談だったとか、ふざけていただとか、そういった、呆れてしまうような理由で口にしたわけじゃないことを証明しているように思える。
「男を好きになる俺を、理解してくれてると思ってたのに……っ」
怒りと、それに合わさる悲しみで、真一は唇を噛み締め、ソファの上にいる平助を睨み付ける。
平助は左腕に手を添えたまま突き飛ばされた身体を戻し、ソファに座りなおすと真一を見上げた。
「分かんねぇよ」
そしていつもよりも低い声を出す。
「分かんないねぇよ。オレは真ちゃんと違って馬鹿だし、男も女も好きになれるし、そういう自分のこと、変だとかこれっぽっちも思わないし、思ったこともないし」
平助は前髪をかきあげる。そしてガリガリと、その頭をかきむしった。
「よくさぁ、ゲイとバイって男を好きになるから同じような目でみられるけどさ~。でも、ぜんっぜん違うよねぇ。まず、好きになれる性別の数が違うんだから、同じなわけないよねぇ。オレ、どうしても分かんないもん。男だけだとか、女だけだとか、そうやってさぁ、1つの性別しか駄目だっていう、ストレートやゲイのことなんて、オレ馬鹿だから、ぜんっぜん、分かんねぇよ」
それしか好きになれないって、決めつけてるように思えてならない、と、平助は吐き捨てた。
これが平助の価値観なのかと、真一は思う。価値観は人それぞれだ。それに文句をつける気はない。しかし、やはり平助は自分が男しか好きになれないことを、理解してくれていたわけではないのだと、それが証明されてしまった。
裏切られたわけではない。平助の価値観は、今ここで平助が吐露することにより、初めて知った。分かってくれていると、勝手に、一方的に思っていただけだ。初めから平助は、自分の性癖など、理解していなかった。
しかし、真一の視界はグラグラと揺れる。ショックを受けている場合ではないと、自分で自分を奮い立たせる。
平助は、立ち尽くす真一を、あの重たい二重の目で見ていた。
軽蔑するような目ではない。言うつもりはなかったことを言ってしまった。それによって、真一を傷付けたのだと、後悔の色が含まれている。そんな目だ。しかし、自分の発言を撤回するつもりはないらしい。
「……美奈子ちゃんと結婚しなよ。真ちゃんはさぁ、他の女は駄目でも、美奈子ちゃんだったら大丈夫だよ。美奈子ちゃんのこと、信用してるし、信頼してるし、なにより、美奈子ちゃんのこと、大事にしてるし優しくしてるって、オレから見ても思うもん。美奈子ちゃんも真ちゃんのこと好きだって言ってたし。きっと、幸せになれるよ」
その好きというのは、いうなれば友愛だろうと、真一は思う。平助だって、分かってるはずだ。
グッと両手を握り込む。
「…………確かに、美奈子のことは信用してるし、信頼してる。優しいし、気が使えるし、いつも朗らかで、本当に良い女性だよ。可愛いとも思う。出来たら、守ってやりたいとも思う。好きだよ。でも、俺がお前に持ってる気持ちと一緒じゃないし、一緒にも出来ない」
「それだけで、十分なんじゃない?ほら、恋愛と結婚は別物だって、よく言うじゃん」
「お前はなんでっ、そんなに俺と美奈子を結婚させたがるんだよっ!」
平助の価値観は分かった。自分に対してどう思っていたのかも、ショックだったが理解した。しかしどうしてそんなにも、美奈子との結婚にこだわるのかが、まだ分からない。
自分の声も、握った拳も震えているのは分かっていた。
平助は、オレは馬鹿だけど……と前置きを置く。「真ちゃんが思い描いてる幸せの形がどんなのかぐらい、分かってる」と。
「真ちゃんの幸せの形はさぁ、男と女が一緒にいることなんでしょ?結婚して子ども作ることなんでしょ?それが、正しい形なんでしょ?でも自分は男しか好きになれないから、幸せになんてなれないって、諦めてるんだよね?」
「……っ」
「そう思いながら、28年生きてきたんでしょ?別にオレはそれを否定するつもりはないんだけど、でもさぁ、そんなので、真ちゃんが幸せになれないのって、イヤなんだよオレは」
だから美奈子ちゃんを真ちゃんに会わせたの。美奈子ちゃんなら、真ちゃんも大丈夫だって思ったから。平助はたんたんと暴露していく。
信じられない。そんな魂胆で、平助はストーカーに困っている美奈子を自分に会わせたのか。そんな前から考えていたのか。それでは平助は、最初から、自分との将来なんて、考えていなかったんだろうか。
「オレじゃ、真ちゃんの幸せの形には当てはまんないもん。男だし、男のオレじゃ、真ちゃんを本当に幸せに出来ないんだったらさぁ、オレがこの世で一番信頼してるし美奈子ちゃんに、任せるしかないよねぇ」
「…………だから、俺がカミングアウトするってことを止めたのか?」
「そうだよ。そんなことして、真ちゃんの家族壊しちゃったらなおさら、真ちゃん幸せになれないじゃん。たとえその後で美奈子ちゃんと結婚したって、それこそわだかまりが残るだけだよ」
今までのことが、全部繋がった気がした。
平助がいつから、何を考えて、何を思って行動してきたのか。
しかし納得は出来るはずがない。そもそもこいつは、真一自身の気持ちなんてお構い無しに、一人で行動してただけだ。
グッと、真一は歯を食い縛る。
「……俺は、お前と一緒にいられたら幸せなんだっ。お前と一緒に居たいんだよ。他の誰とでもなく、お前と、幸せになりたいんだよ。お前のことが、好きなんだっ」
確かに、男と女が一緒にいることが、正しい形だと思ってきた。それは変えられなかった。しかしそれを、平助に当てはめようとはしても、自分に当てはめようなんて、考えてもいなかった。当てはめなくても、十分幸せだと思った。平助と一緒にいるだけで、幸せだと思った。
どうしたら平助に伝わるだろう。どうすれば、何を言えば、平助は分かってくれるんだろう。お前はこれまで、その両手一杯に抱えた幸せを、1つ1つ、手渡してきてくれたんだと。お前は……。
「…………お前は十分、俺を幸せにしてくれてるっ」
振り絞った。精一杯だった。
伝われと、切に願う。平助を見つめる。
沈黙のあと、長く息を吐いたのは、平助の方だった。
ソファの上で両膝を折り、頭を下げる。項垂れる。
頭をガリガリと、かきむしる姿はまるで、小さな子どものようだった。
そして再び、長く、息を吐く。
「美奈子ちゃんと、結婚して。それで、美奈子ちゃんそっくりの男の子と、真ちゃんそっくりの女の子生んでさぁ。その女の子を、オレのお嫁さんにしてよ」
真ちゃんに似てたら、オレはきっと、その子を心から愛せるから。
真ちゃんの幸せの形に沿って、オレもその子と幸せになるから。
(……あぁ、届かなかった)
真一は両目をつぶった。
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