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運命の相手3
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「悪い、遅れた」
端正な顔で爽やかに笑いながら部屋へ入ってきた長身の男は、開口一番遅刻したことを詫びた。10分程度の遅刻を明典が咎めるはずもなく、男を部屋へ案内してきた店員に生ビールを2つ頼む。膝下ぐらいの高さまで紙が貼られていない襖が閉められると、やって来た男は胸元のボタンを1つ外しながら、明典の向かいにある座布団へ座った。
「お前が遅刻って珍しいな」
「いやー。会社出る時ちょっと捕まってさ」
まいったまいったと男は笑い、机の上に置かれてあるおしぼりの袋を開ける。この男──村田誠二とは高校、大学、そして社会人になった今を入れて十数年近くの付き合いになるが、こういった待ち合わせに遅れるのは珍しい。取り出したおしぼりで両手を拭くと、明典がテーブルに広げてあったメニューを眺め始めた。
取り敢えずと頼んだ生ビールは、他の会話をかわす前に運ばれてくる。それをテーブルに置いた店員の手が開いた所で、村田は刺身の盛り合わせと軟骨の唐揚げ、馬刺しと、注文をし始めた。明典に尋ねることなく注文をするが、文句はない。お互いの好物は既に知り尽くされており、ちゃんと明典のことも考えた注文がされているからだ。
黙ってスマートフォンを弄っていると、村田の笑い声が聞こえてきた。視線を向ければ、店員は──まだ働き出したばかりなのか──村田の注文した品を書き取るのにもたついている。そんな店員に彼は入ってきた時と同じ爽やかな笑顔で、再度ゆっくりと注文を繰り返していた。賑やかな周りのせいで聞き取れなかったのだろう品名を尋ねられても、村田は快く対応する。
こういう男なのだ。村田誠二とは。
約束を守り、破れば謝り、人当たりも優しく、爽やかに笑う。それに付け加えて崩れのない端正な顔立ちと男らしい体の持ち主である。僻む言葉を口にする奴はいても、嫌われるような男ではない。寧ろ好かれる。特に女性からは。
「取り敢えず、お疲れー」
「おー、お疲れ」
店員が襖を閉めた所で、漸く乾杯する。ビールの入ったジョッキがガチャッと音を立ててぶつかり、あとは持ち手の胃袋へと流されていった。
泡の髭を作りながら、同時に「あー……!」と声を出す。大学生時代にはなかった無意識に、お互い歳を取ったんだと思う。
「そうだ。忘れる前に渡しとくな」
村田は壁に立て掛けるように置いていた鞄を開けると、何やら白い封筒を取り出し明典へ渡した。
『宮家明典 様』と筆で書かれた表面に、本来あるべき住所はない。裏を見れば、『村田誠二』という名前の下に『足立美奈子』という女性の名前があった。聞いたことのある名前だ。そしてその封筒の外観から、それが何なのかは察しがつく。
「……こういうのは送るもんだろ」
「お前にはどうしても直接渡したかったんだよ」
「切手代ケチりやがって」
「そう言うなって」
封筒から視線を外し、呆れた顔を向けるが、村田は嬉しそうにしていた。
今の彼を例えるなら、目の前に餌を置かれながら待てをされている犬のようだ。
暫くその状態の村田と無言で見つめ合う。
「……ま、おめでとう」
「あぁ、ありがとな」
幸せの顔というのはきっと、今の彼のような顔をいうのだろう。
女性から好かれる彼が、同じ会社で働く女性と婚約したということを聞いたのは、2ヶ月ほど前のことだった。
とうとうこいつも旦那になるのかと思うと、長い付き合いがあるのも手伝って、やはり感慨深いものがある。明典が感情のままに他人を本気で殴ったのは、後にも先にも村田しかいない。その件に関しては、明典の逆恨みのようなものでしかなく、殴られた村田は限りなく被害者寄りだった。そうだというのに、今もこうして変わらぬ付き合いがある。
プロポーズを受けた足立美奈子という女性は、村田曰く『最高の女性』とのことだが、好いた男の言うことだ。当てにはならない。
ただ、足立美奈子は明典が知る男の中で一番良い男を捕まえた、ということだけは確かだった。
「それでな、メイテン」
結婚式には誰を呼ぶのかと。懐かしい名前が村田の口から出てくるのを楽しんでいた明典へ、村田は少しだけ身を乗り出した。
『メイテン』というのは、大学時代に付けられた明典のあだ名だ。高校から共に同じ大学へと進学した村田だが、どうやらその響きが気に入ったらしく、いつの間にかそのあだ名にシフトした。今じゃプライベートで付き合いのある人物は、大抵そのあだ名を使って明典を呼ぶ。
「結婚式のお祝いスピーチ、頼みたいんだけど」
「絶対やだ」
「そう言うと思った」
人前で目立つことを嫌う明典から予想通りの言葉が返ってきたことに、村田は嫌な顔もせずに笑った。この前電話を掛けてきた正も同様だが、なぜ断られると分かりながらも、こうやって頼み事をしてくるのだろう。明典には不思議でならない。思ったことをそのまま口にすると、村田からは「分かってても、まずはお前に頼みたかったんだよ」と返ってきた。
「親友だろ?」
「……まぁな」
同じことを思っていても、滅多に口に出さない名詞に擽ったさを覚える。村田が口にすると、くさい台詞もそう聞こえてこない。
「別にそう決めてるってわけじゃないけど、何を伝えるにしても頼むにしても、一番はお前。お前には最初に知ってもらいたいんだよ」
「重いなぁ」
「分かってるよ。ついでにもし、お前に一生のパートナーが出来たら、誰よりも早く祝ってやりたいって思うぐらい俺は重いぞ」
「ありがたいけど、知っての通り、ここ数年男はいないんだよ」
「先のことは分からないだろ?」
村田の言葉に、明典は占い師から言われた例の言葉を思い出すが、口にはしなかった。
ジャケットの胸ポケットを探った村田は、封の切られていないメンソールの煙草とライターを取り出す。大学時代はよく目にしていた煙草も、今では酒の席でしか吸いたくならないという話を聞いている。ごつごつとした男らしい手で箱の中から2本取り出すと、1本を明典へ渡してきた。先に咥えた煙草もそのままにして、まずは明典の方から火をつけてくれる。
「……あいつからは、まだ連絡あるのか?」
肺に取り込んだ紫煙を吐き出しながら、村田が尋ねてきた。つい最近、眠る前に来たメッセージを思い出しながら、村田と同じように明典は紫煙を吐き出す。図らずとも、少しの間があいた。
「………………たまに」
「長いなぁ」流石の村田も苦笑する。「もう十年経つっていうのに、まだお前のこと忘れられないって?」
「直接的には言ってこないから、そこまでは分からん」そういうニュアンスに取れなくもない言葉は送られてくるが。「俺も聞かないしな。でも、ここ数年は、どうやら落ち着いてるみたいだよ」
「そうか」
灰皿に先端の灰を落とすと、火種までもが落ちた。すかさず村田がライターを差し出してくる。
「お前も落ち着いたよなぁ。大学時代は正直ヒヤヒヤしてたよ」
「俺は別に、男漁りなんてしてなかっただろ?」
「そうだけど。セフレがいるって聞いた時は流石に心配した。その人とはどうなったんだ?」
「もう随分前に終わったよ」
何年も思い出さなかった懐かしい人物を、村田はしっかりと覚えていた。それだけ彼にとっては衝撃的なことだったのかもしれないが、当の明典からしてみれば、ただお互いの利害関係が一致したために関係を持った相手に過ぎない。明典が、『ノンケには手を出さない』という主義を持っているように、相手の男も『恋人は作らない』という主義を持っていた。確か、十は歳上だった。お互いに、タイプを少し掠めていた。覚えているのはそのぐらいで、関係が終わった時期もその理由も、確かな記憶はない。連絡先も知らなければ、相手の男が今どこに居て何をしているのかも、然程興味はない。
「まぁ、心配かけてたなら悪かったな。今はセフレもいないから、安心してくれ」
「そうだな。あとはお前にパートナーが出来たら、もっと安心できるんだけど」
「あぁ。それも安心していいぞ」短くなった煙草を灰皿に押し付け、残りのビールを飲み干す。「どうやら運命の相手とはもう出会ってるらしい」
「え!?何だそれっ!?」
最近起こったネタを話せば、村田は思った以上に食い付いてきた。ちょうどその時、部屋の襖が開けられる。注文していた品の一部が、漸く運ばれてきたのだ。空になった2本のジョッキを、村田は店員に渡した。そしてまた生ビールを2つ、注文する。
すぐに運ばれてきた生ビールに口をつけると、出番を待ち構えていた箸を割る。まだ煙草を吸い終わっていない村田は、おしぼりで手を拭いた後、軟骨の唐揚げにレモンを絞る。先に食べるようすすめてきたため、明典はその一つを箸で持ち上げると口の中に放り込んだ。
コリコリとした歯応えに無言となるが、村田は途切れた話の続きを聞きたそうに待っている。口の中の物をビールと共に飲み込むと、明典は漸く占い師のことを話し始めた。占いに行ったというだけで村田は驚き、興味津々な目を向けてきたが、期待されるほどの面白いオチなんて考えつくはずはなく、ただ淡々と脚色せずにあったことを話ていく。長い話でもなかったが、全て話し終わる頃には村田もビール以外の食べ物を口にしていた。
「お前が今付き合いのある男って誰だっけ?」
「お前とあいつ。まぁ、あいつにはもう何年も会ってないけど。あとは、正とアキさん」
「あー!正くん。元気にしてるか?」
「相変わらずだよ。まだ性病にはなってないらしい」
村田は人を覚えるのが得意だ。正には片手で足りるぐらいしか会っていないというのに、どういう男なのかしっかりと思い出せているのか、「あの子もなぁ」と溢した。会う度にセックスしようと言われていれば、嫌でも記憶に残ってしまうものかもしれないが、その記憶力には脱帽する。
軟骨の唐揚げが無くなると、残りの品も運ばれてきた。
「っていうか、お前まだアキさんと付き合いあったんだな」
好物の馬刺しを食べながら、村田が少しばかり苦々しい顔をするのを、明典は見逃さない。
「極たまに連絡が来て、飯連れてってもらうぐらいだけど」
「学生の時からお前のこと気に入ってたもんな、アキさん」
「お前の方が気に入られてただろ。イケメンだって」
「でも、俺はあだ名つけられてないし。メイテンって、確かアキさんが付けたあだ名だろ?」
「まぁな」
確かに『メイテン』と呼び出したのは、大学時代の先輩であるアキ──中倉千晶(なかくら ちあき)だったが、気に入られている、という理由にはならないのではないかと明典は首を捻った。もともと『アキ』や『アキさん』と呼ばれていたアキが、明典の『アキ』の部分と被って紛らわしいからと付けたあだ名だ。区別する、という理由以外、ない気がする。
このアキという大学時代の先輩は、純日本人だというのに西洋の彫刻のような容姿を持つ男だ。髪型や服装のせいで遊んでいるイメージは取れないが、その圧倒される雰囲気に加えて歯に衣着せぬ物言いとキツい性格のせいで、同期からはある一定の距離を置かれていた。しかし、やはりかなりモテるのか、学生時代は女性と一緒にいる所をよく目撃した。その女性というのもアキ同様、自分の見た目にかなり自信を持っているようなド美人ばかりだったが、ころころと変わっていく美人の様子に、どこからそんな美人を探し出してくるのか甚だ疑問だった。類は友を呼ぶシステムなのかもしれない。現に、明典がアキと知り合うことになったのも、村田が切っ掛けだ。
しかしそんな村田は、アキの話になると苦笑いをする。
「今日捕まったって言ったの、実はアキさんからだったんだよな」
苦々しい顔をした時点から、なんとなく察していたことを村田は言う。
「他部署だっていっても、同じ会社だしな。顔ぐらい合わせるだろ」
「まぁな。でも俺、まだアキさんの前だと緊張するんだよなぁ」最後の馬刺しが村田の口の中へ入り、ビールが後を追う。「研究論文をダメ出しされたトラウマ」
「あー。2時間ぐらい部屋から出てこなかったやつ」
「あれは俺が悪かったんだけど。でも……怖かった」
「研究室長で、力入ってたもんな。あの時のアキさん」
明典の言葉を最後に、二人とも黙った。他の部屋から賑やかで陽気な声が入ってくるため、静まり返るわけではなかったが、この沈黙の間に村田が何を考えているのか、明典には手に取るように分かる。
大学3年で同じ研究室に入り、目から血が出るのではないかと思うほど、研究に力を入れた2年間を過ごしたのだ。鬼のような教授と研究室長が居た3年が最も辛かった。思い返せば良い思い出であるのに違いはないが、もう一度やり直したいかと聞かれれば、明典も村田も首を横にしか振れない。
「アキさんも丸くなったよな。刺々しさも取れてきたし」
「確かになぁ。話しやすくはなった。でもお前、あの時のアキさんにも平気で色んなこと言ってたよな」
「そうか?まぁ、力入ってる分、穴もあったからな、あの人。自分が出来てないことを人に言っちゃいけないだろ」
「俺も思ったことあるけど。でも、口が裂けても言えない」
物怖じしないよなと、村田は笑った。刺身を醤油に付け、咀嚼しながら明典は当時のアキを思い出す。
孤高の男は、案外、昔から『寂しがり屋』なのだ。
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