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「 なぁ 桜木。今日の放課後って暇?」
帰りのHRが終わって、帰宅の準備をするために机の中の教科書やらノートやらをカバンに詰めていた時、白石くんが後ろから声をかけてきた。
今日……か…
だいたいいつもこれと言った用事はないのだけれど、昨日から体がダルいし早く家に帰って休みたいと思っていた。
だけど暇なのに断るのもなぁ……
「 放課後なんかあるの?」
とりあえずどんな要件かだけ聞こうと思ってそう尋ねると、白石くんはうーんと唸って肩をすくめる。
「 それ言ったら断られそうな気がするから言いたくない 」
「 じゃあ暇じゃなーい 」
「 おいおい 」
苦笑いで俺の肩をぱしっと叩いた後白石くんも荷物をまとめ始めた。
「 ごめんね。今日ちょっと体調悪くてさ、また明日でもいい?」
小声でそう言った俺の言葉に、白石くんはハッと息を呑む。
「 あー、そうだよな、朝から顔色最悪だし今日も色々あったし、疲れてるよな。………ごめんな、気ぃ回んなくて」
申し訳なさそうに謝る彼をみて逆にこっちが慌ててしまう。
彼が気にすることでもないし、そんな苦い顔されたらどんな対応していいかわからなくなる。
「 あっ、いや謝らないでいいから。白石くん悪くないし。」
「 ん、とりあえずお前は早く帰って休め。また明日でも明後日でも、いつでもお前の都合のいい時でいいからさ。」
「 わかった、ありがとう。………じゃあ、また、あした。」
「 おー、気ぃつけろよ 」
少しだけ手を振って教室を出る。
重たいカバンを手で持つと、手提げの部分が右手の傷口にグイっと食い込んで酷く痛んだ。
せっかく手当してもらったのに今ので少しだけ傷口が開いてしまったみたいだ。
ズキズキと響く痛みを我慢して、カバンを反対の手に持ち替えて歩き出す。
階段を降りてグラウンドの近くを通ると、部活動生の笑い声や練習の掛け声などが響き渡って、1人で帰ってる自分が無性に虚しくなった。
中学の時は毎日HRが終わってすぐグラウンドに出て、部活の準備をして楽しく体を動かしていたのに。
楽しかったな、とぼんやりと思う。
そんなに昔ではないのに、遠い過去のことのように記憶が曖昧で、酷く他人事っぽく感じた。
だってもうあの頃には戻らない。
なりたかったものや欲しかったもの、ずっと続けばいいと思っていたことも今では淡い思い出の中で死んだ。
黒く濁って形さえ鮮明に思い出せない。
取り戻そうと足掻いたところで時間の流れには逆らえずぼろぼろと風化していくだけだし、仮に願ったものが自分の手元にたまたま転がり込んできたとしても今の窒息しそうな環境では機能しないだろう。
自分のやりたいことをして、目標に向かって努力して、
悔しい思いや満足した気持ちを持っていた昔の自分の方が今よりもよっぽど輝いていたし充実していた。
そして何よりも今より生きている価値があったはず。
今はただ、毎日毎日毎日同じことを繰り返して、
感動も感傷もなく全てのものをガラス1枚隔てたように眺めて、呼吸さえも止めるように息を殺してただ淡々と時間を無駄にしている。
自分がいつまで生きていられるか、いつ見捨てられていつ本当に独りぼっちになるか。
遠いようで近いようなそんな未来に怯えながら愛も情もない形だけの家族という肩書きを持ったヒト達の側で自分を押し殺して生活するのだ。
自覚しているのにどうしていいか分からない。
迷ってばかりいて何もできない愚かな自分という存在が、酷く憎たらしくて何もかも嫌になる。
だから、せめて今の当たり障りない日常を壊さないように努力している。
けれど、またいつ親の機嫌を損ねて自分の存在を否定されたり罵倒されたりするか考えると気が気でない。
現状維持でさえ自分にとっては難儀なことなのだ。
余裕なんてものはこれっぽっちもなく、
両手にいっぱい抱えた「今」がいつ溢れて落ちるかビクビクしながら必死で外堀を固める毎日。
疲れた、なんて贅沢言わないから、
俺に構わないで欲しい。
親も、教師も、他人も、みんな。
そしたらまだうまく生きていける気がする。
俺のことが嫌いなのは仕方ないけど、うざいなら視界に入れなければいいし話掛けなければいい、と親に対していつも思う。
でもきっとそれは浅はかな考えで。
多分あのひと達は、嫌いな人間がする全ての行動が嫌でケチをつけたいんだと思う。
部屋の中で歩くのも同じテーブルで食事をするのも家で何か喋る時も、全部全部俺のすることが目に付くんだろう。
親が子供を愛するのは当たり前のことじゃない。
けれど殴られたり蹴られたりするわけじゃない。
食事を与えられない訳でもない。
学校にも行かせて貰ってるし必要なお金は負担してくれてる。
母親もまだそこまで「親」を捨てきれてないらしい。
だけどきっとそれも俺が高校を卒業するまでだと思う。
きっと俺に早く出て行って欲しいと思ってる。
顔を見たくないとか声も聞きたくないとか、多分そう思ってるはず。
それは充分理解したつもりだからもう今更なんとも思わないけれど。
でもたまにすごく寂しくなる。
だから何度も考えた。
俺が千里と同じ様に親に大切にされていたらって。
まだ昔は俺に優しかったのに。
名前も呼んでもらっていたし、笑いかけてくれたりもした。
小さい頃の話だけれど。
きっと俺が出来損ないって気づいたから俺に
「価値ナシ」って書かれた判を押したんだ。
俺が悪い。
もっと器用にこなしていたら、「今」とは違う結果だったかもしれないから。
なんで望む人の所には願いはやってこないのだろう。
もうすでに沢山才能や希望や夢を持ってる人のところにしか救いはないのだろうか。
だとしたらものすごい悪循環だな。
それなら俺には一生回ってこないじゃないか。
世の中は持つものと持たざるものに分かれている。
俺は圧倒的後者。
こんなこと考えたってキリがない。
自分には運がなかったと笑い話にして気にしないふりをしてないとやっていけない。
自分で自分を悲観してしまうともう終わりな気がするから。
深く息を吸って歩く速度を速めた時、
ブレザーのポケットの中に入れていた携帯が震えた。
「〜〜〜〜♪ ♪ ♪……………」
電話だと思ったら、鳴り始めた着信音はワンコールでとぎれてしまった。
「………??」
不思議に思いながら、ポケットから携帯を取り出して画面を見る。
通知を開いて履歴を確認すると、
ディスプレイに表示されたのは「千里」の文字。
あいつは俺にあんまり電話なんてかけないし
なにかあったんだろうか。
それとも間違えて俺に掛けたとかかな。
そのまま放っておこうかと思ったが、なにもしないのもちょっと心が痛むから、掛け直そうとチャットアプリを開いて無料通話のボタンをタップする。
「 ………… 」
数秒待った後に、自分の携帯から鳴る呼び出し音が耳元で響く。
「〜〜〜〜〜♪ ♪ ♪ 」
あれ、ちょっとまて。
たしかに耳元で鳴ってる音は確認できるんだけど、
その音とはまた別に違う音がどこかから聞こえる。
ふと立ち止まって携帯を確認する。
特に異常はない。
小首を傾げてもう一度携帯を耳に当てた時、
俺はハッとして後ろを振り返った。
もしかして。
振り返った先には、俺より数メートル離れたところに、
音が鳴り続けたままのスマートフォンを片手に持ってニコッとこちらに笑いかけている男が1人。
「 一緒にかーえろ 」
こんな近距離で電話をかけてきたらしかった千里は、
へらへら笑いながら小走りで俺の隣にやってきて、そのまま並んで同じペースで歩き始めた。
なんだ、後ろにいたのかよ。
っていうか結構無駄な時間だったぞ、今の。
俺は携帯を操作して発信をキャンセルしてポケットにしまい、
少し首を上に向けて上目遣いで千里をちょっと睨む。
「 普通に声掛ければいいだろ。」
俺がそう言うと、千里は悪びれもせず肩をすくめて半笑いで口を開く。
「 ちょっとした遊び心だよ。最初はメールで「う し ろ 」って3文字だけ送ろうと思ったんだけど…」
「 いや、こわい 」
「 うん、だからやめた 」
ぺろっと舌を出して「へへ」っと笑う千里が随分と幼く見える。多分こいつがこんなに無防備なかおで笑うのは俺の前だけで、俺以外の前では完璧で優秀な人間として生きているから、きっと気の抜けた笑顔も行動もできないのかもしれない。
そう考えたら、こいつもこいつで色々と普段の日常にストレスが溜まることがあるのだろうか。
俺とは違った悩みが。
俺には理解できない焦燥が。
千里が羨ましいと思うことはあるけれど、千里と代わりたいかと聞かれれば答えは否だ。
それだけ、誰が見ても大きなものを背負っていると思う。
少なくとも今のコイツは。
重いプレッシャーや期待を背負うのは簡単なことではないし、
尚且つそれでまともな結果を残すのは誰にでもできることじゃない。根っからの器用さがあるってのも理由としてあるんだろうけど、人生生まれ持った器用さだけじゃ限界がある。
そしてこんな風に普段笑ってられるのはコイツがその分強い意志と器量があるからだろうな。
ただ一言で羨ましい、なんていうのは少々気が引ける。
千里に代わっても、きっと俺にはできないことだから。
俺が歩くペースにぴったりと付いてきて、隣に並んで歩く千里を横目でチラリと盗み見る。
確実に千里の方が歩幅が大きくて、歩くスピードもコイツの方が速いはずなのにわざとペースを落として俺に合わせているのが直ぐに分かる。
そうだ。
千里は元々優しいのだ。
自分の思い通りにならないことがあると機嫌が悪くなるし、捻くれてるし裏表激しいしどうしようもないくらい手に付かないこともあるけれど。
その分自分の欲望に忠実であり、なにより素直。
歩くのを辞めて、その場でふと立ち止まる。
俺より数歩先に進んだ千里も、立ち止まった俺に合わせてピタッと止まる。
そして不思議そうに俺の方に振り返って小首を傾げる。
「 涼.....どしたの?」
千里がこちらへパタパタと戻ってきて俺の前で立ち止まる。
きょとんとした顔で俺を見つめている千里がなんだか可笑しくて、急に触れたくなった。
腕を伸ばしてそっと千里の髪を指でとかした。
風に吹かれて少し乱れた前髪を整えてやると、千里はくすぐったそうに俺の手に頬を擦り寄せてきて、猫みたいだなと少し思った。
千里は昔から触られるのが好きだった。
正確に言えば、誰かの体温を感じられる行為が好きなんだと思う。
抱きしめたり、頭を撫でたり、手を繋いだり。
そういった、人の温度を感じることができるスキンシップが昔から好きで、千里はそれらをしてあげるとすぐ笑う。
だから、ほら、
今だって。
「なあにー 」
千里はくすくす笑って不思議そうに俺に向かって口を開く。
いつもこうだったら可愛いのにな、と思いながら千里の頭をぽんっと撫でてから手を離す。
「 俺たち、似てるんだってさ。」
俺が唐突に投げかけた言葉が理解できなかったのか、千里の頭の上にハテナが浮かんだのが見える。
「 今日、俺とお前が似てるって言われたよ。」
「 だれに?」
「 お前の友達。」
「 ………あー、はいはい 、誰か分かった。」
一瞬だけ顔を曇らせた千里だったけど、すぐに普通のテンションに戻って話を再開する。
「 生まれ持った遺伝子が同じだから顔も似んのかな」
「 さぁ、俺文系だから遺伝子学はさっぱり。」
千里がひょいと肩をすくめたあと、両手を持ち上げて「お手上げ」のジェスチャーをする。
おかしくてちょっと笑ってしまった。
文系も何も、入試全教科満点だったクセに。
本当はどんな分野でも得意だろうに。どうしていまそんな嘘をつくんだろうか。
「 でも俺はお前と顔が似てると思ったことないんだよね、でも、他の人が見たらやっぱり似てるのかも」
俺がそう言うと、千里は「そりゃそうでしょ」みたい顔をしながら笑う。
「 だって俺たち兄弟でしょ。目の色なんかほぼ同じだし。あ、そうそう、この前母さんからも言われた。」
「 え、なんて?」
「 『千里と涼の声がそっくりだから電話の時一瞬どっちかわかんなくて戸惑う』って。この前俺が電話出た時笑いながら言ってたよ。」
まさかお母さんがそんなこと言っていたなんて、だいぶ衝撃。
俺の声のことなんて聞きたくもないと思っているはずだと認識していたから、千里と似ているなんて言うはず無いと思ってた。
でもどうせなら中身も似たかったな。
「 ………なんで、見た目とか声だけなんだろな。……中身も、ちょっとくらい似てたら、もっと、良かったのに。」
呟くようにそう言ったら、千里が一瞬目を見開いて俺を見た。
唇を硬く結んで、なんとも言えない表情をしている千里は、少し目を伏せた後悲しげな顔をしてへらりと笑った。
「 涼には涼の良さがあるのに 」
そして千里が静かに歩き出した。
やっぱりそのペースは俺に合わせてゆっくりで。
千里の広い背中を見ながらその後を追って
俺も歩き出す。
「 だといいんだけど。」
そう言ったら、もう千里は笑うだけで何も言わなかった。
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