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迷子の仔猫
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『なるほどねー。
で、これからそのよーこちゃんとやらを、送り届けにいくわけ?』
昨日の居酒屋を出てアパートに帰ってくるまでのいきさつを大まかに説明すると、オトは尻尾を振ってけだるげに言った。
おれは二日酔いでがんがん鳴る頭を必死に回転させて、整理する。
「そのつもりだったんだけど……
番号に電話してみても、応答がなくて。
一応留守電は残したから、折り返してくれるはずだから、そうしたら、講義が終わったあとにでも、連れて行こうと、思う……」
『それまでよーこちゃんは、その公園で待ってると』
オトに頷いてみせて、おれは重たい身体を起こして立ち上がる。
低くうめきながらのそのそと玄関まで歩いていくと、オトがおれの足に身体をくぐらせてから、じっと顔を見上げた。
『今日は休んだら?』
「だめ……
たとえ血を吐いても講義には出る……」
精一杯意気込んで言うと、オトは呆れたように呟いた。
『もしほんとに吐くとしたら、血より嫌なものだと思うけどね……』
オトと外で別れて、朝の爽やかな空気を吸って歩いていたら、糸がこんがらがったようにもやもやしていた胸の内も、少し楽になった。
大丈夫いける、と何度も言い聞かせながら教室の扉をくぐった途端、聞き慣れた声がおれを呼んだ。
「おーじ、こっちこっち!」
こたが確保してくれていた席に向かいながら、まずはおはようをいうべきか、いやここはありがとうだろうか、なによりもごめんなさいと頭を下げるべきか、かなり悩んだ。
結局おれが口を開く前に、こたにそんな思考もまるごと、あっさりとさらわれてしまったのだけれど。
「おはよ!
昨日はごめん、家まで送っていけなくて。
ま〜なんだかんだ、久しぶりにおーじと酒飲めておれは楽しかったよ。
誘ってくれてありがと」
「あ……うん。
えっと、こちらこそ」
「つーか大丈夫?
二日酔いとか」
「まあ……うん」
曖昧に微笑って頷く。
席に座ってから、おれは声を潜めてこたにおずおずとはなしかけた。
「その……
おれ、ところどころ記憶飛んでんだけどさ……
忘れてたら困ることとかあったら、悪いんだけどもう一度言って」
「え〜、あっまさかあれは忘れてないよな!?」
「えっ?」
そんなに息巻くほど重要なことをいっていただろうか……?
昨晩のことを必死に思い出そうとうなるおれに、こたはしょうがないな、とため息をついた。
「いいか、もう一度しかいわないからな?」
「うん……」
「この前、商店街の向こうの河原に猫が棲みついてるってはなしはしたよな」
「……うん?」
「そこでなんと……仔猫が二匹産まれたらしい!
まじやばだろ?
おめでたいビッグニュースだろ!?
その日のおれんちの夕飯は赤飯だった!
仔猫ばんざーい!」
「……」
こたのおかげで気が紛れたのも助けて、おれはなんとか無事に講義をこなすことが出来た。
門を出て早足に歩きながら、昼頃にかかってきた、首輪の番号からの折り返しの電話のときにとったメモを確認する。
メモには待ち合わせの場所と、指定の時間を書きとめていた。
待ち合わせは最寄りの駅に五時。
向こうがいつでも大丈夫だといってくれたので、おれのバイトがはじまる前に予定を組んでもらうことにした。
受話口を隔てて会話した声はまだ若い女性で、よーこのことを伝えると、脱力したように笑って、少し涙ぐみながら何度もお礼を言われた。
どうやらよーこがいなくなったのは一昨日の昼頃だったらしい。
こんなに早く見つかるとは思わなかった、とひどくほっとしたように言っていた。
待ち合わせまではまだ少し時間があるけれど、まずは長いこと待たせてしまったから、よーこを迎えに行って……
それからのんびり歩いて、待ち合わせ場所に向かうのがいいだろう。
おれは内心でうなずいて、ポケットにメモをしまった。
ちょうどそのときだった。
『ミコト!!』
軽い衝撃をともなって、頭の中に声が響いた。
突然叫ばれてぐわーんと鳴る頭をおさえながら、おれは声の主を捜して振り向く。
けたたましく鈴を鳴らしながら、オトがおれに駆け寄ってきた。
『来て!
はやく!』
滅多に見ないオトの切迫した様子に、おれは思わずごくりとつばを飲む。
せかされるままオトのあとを追って走った。
「ここは……」
行き着いたのは、昨日よーこと出会った公園だった。
夜に見るのとはまた雰囲気が違うが、間違いない。
どういうことだ、とオトにたずねようと口を開きかけると、それを遮るように耳をつんざくような高い声が頭に響いた。
『うにゃあああっ』
「……よーこ!?」
心臓が飛び上がるような心地がした。
慌てて公園の中に駆け込むと、数人の男の子たちに囲まれている仔猫を見つけた。
少年は無邪気に笑いながら、楽しそうに仔猫と戯れている……
『やだやだやだやだっ
やめてよお!』
「あはははっ
おせんたくー」
「あばれるなよお」
「あっ水とんだー
あはははは」
『おみずこわいよーっ!
うえええん、ひなちゃああん!』
「あいつらっ……」
なんで分かんないんだ?
よーこは、あんなに叫んでるのに……
少年たちは、逃げないようによーこの尻尾をつかんで、水飲み場から引っ張ってきたホースで水をかけている。
悲痛に叫ぶよーこの声が、二日酔いよりも重たく頭の中で反響する。
たまらず頭をおさえたとき、もうひとつの声がおれを呼んだ。
『ミコト、こっち!』
「……っ!」
ごちゃごちゃに混ざり合っていた音をかき消して、オトがおれを導く。
おれは咄嗟にオトのところへ走って、蛇口をぎゅっとひねった。
水の出なくなったホースを少年たちは不思議そうに見、おれを見つけて、あっと叫んだ。
「なにすんだよー!」
おれは少年たちの前に仁王立ちして、きっと睨みつける。
ぱちぱちときれいな眸をまたたいて、やましいことなどなにひとつないような態度で、一様におれを見上げた。
「お前らな……
弱いものいじめはいけませんって、学校で習わなかったのか?」
「いじめじゃないもーん!」
「おれらこいつとあそんでただけだし!」
「おじさんはだまってろー!」
「ハーゲハーゲ!」
「ハゲじじい!」
「なっ……!?」
頭に血がのぼる。
こぶしを振り上げて殴る仕草をすると、少年たちはきゃー、と叫びながら公園の外へ走って行った。
「ったく……」
おれはまだピチピチの十代ですから。
ハゲてもないしじじいでもないですから!
『おにーさん……』
ハッとして振り返る。
びしょびしょに身体を濡らして小さく震えながら、よーこはじっとおれを見上げていた。
おれと目が合うと、まるでいっぱいに水を詰めた風船が割れるみたいに、大声で泣き出してしまう。
おれはよーこをなだめながら、鞄の中からハンドタオルを取り出して、濡れた身体をふいてやった。
「これじゃだめだよな……
取り敢えず、うちに連れてかえって、それから……
あーもー、泣くなよ〜」
なんとかよーこをなだめて、濡れた毛並みを乾かすためにアパートに連れて帰ることにした。
道中濡れる覚悟でだっこして歩いて、家に着く頃にはすっかりおれの腕の中でおとなしくなっていた。
「ドライヤー、嫌かもしんないけどさわぐなよ」
『ぶおーってやるやつ?
あれ、こわいの……』
「我慢しなさい。
かぜひくよりマシだろ」
『う〜』
オトにやってやるときの何倍も苦労して、どうにか逃げ出そうとするよーこにドライヤーを当てていく。
まだ柔らかい毛は案外すぐに乾いて、待ち合わせの時間がくるまで少し待つことにした。
その間、じっと離れたところで黙ったままだったオトに、ふと思い出して問いを投げた。
「オトは、なんでおれを呼びにこられたんだ?
ずっとよーこと一緒にいたの?」
オトがおれに助けを求めてきたということは、そのときあの公園にいたということだ。
質問に答えてくれたのは、よーこだった。
『わたし、なんぱされたの』
「……」
なんぱ?
おれがぽかんとしていると、オトは面倒くさそうにため息をついて、いきさつを説明してくれた。
どうやらオトはおれと別れたあと、おれについていたよーこのにおいを頼りによーこを見つけたらしい。
オトいわく、あんたがよーこちゃん?
と聞いただけだったらしいが、よーこの言い分は違った。
『かわいいねって』
「言われたんだ?」
『うん』
にやにやしながらオトを見ると、ふいと視線を逸らされた。
『勘違いしないでよね』
ふてくされたような言い方が、なんだかおかしかった。
しばらく笑いがおさまらなくて口元を緩めていたら、すっかり機嫌を損ねてしまったオトにきっと睨まれてしまった。
『あんたさ、そうやってへらへらしてて恥ずかしくないわけ?
そもそもよーこちゃんがあんな目にあったのは、あんたがあの公園で待ってろなんて言ったからでしょ。
うちに連れ帰るとか、どっか安全なところに隠すくらいの気は回せなかったの?
だからあんたはばかだっていうの。
ねー、分かる?
ちょっとは反省したらどうなの?』
「う……」
悔しいけれど、もっともだ。
公園なんてひとが集まるところに、ひとり残していくことへのリスクを予測出来なかったおれの配慮が欠けていたせいで、よーこは大変な目にあったのだ。
いい加減、自分の甘さにあきれる。
おれは正座して、よーこに頭を下げた。
「怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい……」
『いーの。
おにーさんとオトさんが、助けてくれたから』
小さくなるおれに対して、よーこは陽の光のように明るく純粋な眸に笑みを浮かべた。
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