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冬弥の指先だと気づき、カッと身体が熱くなる。アルコールのせいではない眩暈で、くらりと脳が揺れた。
「冬弥、さ」
「だからショックだったよ。練習させて、と言い出したときは」
「――……ッ」
指先が髪をすくい、耳殻をなぞって、髪の生え際から首筋へと下りていく。ぞくぞくするほど優しい触れ方に身体がどんどん熱を帯びるのに、胸の中央だけは体温を失っていった。底のない空洞がぽっかりと空いている。ここに身投げできたら、きっと楽になれるだろう。
冬弥にとって雪斗の願いは、いつか出会う誰かのために利用させてくれ、と言われたも同然だ。雪斗を弟のように思ってくれていたなら、さぞかし傷つけただろう。こんな茶番には付き合っていられないと匙を投げて絶縁されても仕方がなかった。
それでも恋人にしてくれた。一年間、彼の家でともに過ごせた。
幸せだった。
悔恨にまみれていたって、怖いくらいに、この感情は恋だった。
「……冬弥さん」
気丈に笑ってみせたいのに、あまりうまく表情筋が動かない。
冬弥は自分と雪斗の持っているお猪口を、徳利の載った盆に戻して遠ざけた。
「雪、おいで。最後の練習をしよう」
差し出された手を取る。
促すように引き寄せられ、辿り着いたのは男の膝上だった。雪斗は許されるまま、広い肩に頬を置く。
目を閉じる。腰を支えるように抱かれ、後頭部を優しく撫でてもらえた。
たぶんここは揺り籠だ。赤ん坊のときに寝かされていたような、二度と戻れない場所。
「雪が誰かを抱きしめるときは、僕との練習を思い出してくれるのかな」
「はい、思い出します。……必ず」
思い出して、結局誰も抱きしめられずに、抱きしめられた記憶に捕らわれて生きていく。
いつか、この想いが風化するといい。冬弥への恋は心の中のありったけの場所を占めているから、色褪せでもしてくれないと、いずれ呼吸ができなくなりそうだ。
(ああ、でも、痛いのもひっくるめて、ずっと忘れたくはないなあ)
こめかみに唇のぬるい感触を覚え、雪斗から身体を離した。
「冬弥さん、一年もわがままを聞いてもらって、ごめんなさい」
「謝ることはないよ。それより、明日からの話をしよう」
「はい。いくつかお伝えしたいことがあるんです」
名残惜しさを吹っ切って膝を降りる。
傍らに膝をつくと、心なしか眉を寄せた男に精一杯微笑みかけた。
「旅行、連れて来てくれて嬉しかったです。今日までに部屋の荷物は実家に移動させましたから、安心してください」
黙りこくった冬弥の視線が突き刺さる。
何かに、怒っているのだろうか。急に不機嫌な様子を見せられて困惑する雪斗は、引きつりそうな呼吸を数秒止める。
落ち着くな。ためらうな。後戻りはできない。一年前と同じ暗示を心の中で唱える。
一切の綻びなく嘘をつきとおすことが、嘘つきの流儀であるはずだ。
「明日は一人で帰れます。ターミナル駅まで直通のバスがあるそうなので、心配しないでください。それと冬弥さんはいらないって言ってくださいましたけど、やっぱり宿泊代を払いたいので……家のテーブルに出際に多少置いてきたんですが、絶対に足りないので、後日送金させてください。最後まで締まらなくって……ごめんなさい」
語尾が掠れてしまい、膝上の手をぎゅっと握る。
ここで泣いたら台無しだ。冬弥はどこまでも優しい男だから、目の前に涙する人間がいたら放っておけない。情を無駄遣いさせたくはない。
震える息をか細く吐ききって、断続的に痛みの走る心臓のつんざく悲鳴を無視した。
「姉さんより素敵な女性はきっと見つかります。今は忘れられなくても、絶対です。だから――幸せになってください」
頭を下げると、じんわりと鼻の奥が痛む。そろそろ、こらえるのも限界だ。
雪斗はもう冬弥を直視できないまま、「先に寝ますね」と背を向けた。
だが、離して敷かれた布団に、たどり着けない。
浮きかけた腰を捕まえる逞しい腕が、雪斗を後ろへ引き寄せて――息ができないほどに抱き寄せたからだ。
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