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03 メガネくん -1
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江戸川乱歩を借りた土曜日から2週間が経った。そんな今日も、俺はNOGIに訪れた。いつもと変わらないルーティンだが、一つだけ違うとすれば、店にはNOGIのニューアルバイター、丸メガネの綿菓子くんがいることだ。
そう思ってこうしてやってきたのだが、俺を出迎えてくれた綿菓子くんは、俺の知っている丸メガネの綿菓子くんではなかった。
「誰かと思ったよ」
俺がそう言うと、黒縁メガネをかけた綿菓子くんが笑顔を浮かべた。メガネは違えど、笑った顔は今日も絶妙なまでに柔らかい。
「これですか」
綿菓子くんは黒縁メガネをくい、と1度持ち上げてみせた。俺は頷いて、黒縁メガネの綿菓子くんを観察した。丸メガネの時は個性的な空気感が強かったが、今日は知的な大学生感がよく出ていた。
「メガネが好きなんだよね」
綿菓子くんの隣で俺のコーヒーを淹れる美咲が言った。綿菓子くんがはにかみながら頷いた。
「なっちゃんがバイト始めてから、3種類くらい見たかな?」
「あ、そうだと思います」
メガネに触れてもらえて嬉しかったのだろう、綿菓子くんは活き活きしていた。
「へえ、そんなに持ってるんだ」
「コレクションしてるんですよ。1番気に入ってるのは、この間かけてた丸メガネです」
「あー、たしかに丸メガネ率の方が高いかも」
そんなにメガネが好きなのか。綿菓子くん改め、メガネくんが1週間のうちどの程度シフトを入れているかはわからないが、社員でほぼ毎日出勤している美咲なら把握できるだろう。
「いらっしゃいませ」
来客に気づいたメガネくんが、客を出迎えに行った。この2週間でいくらか動けるようになったようだ。
「がんばってるんだな、彼」
「うん。真面目だし、感じもいいよ」
感じの良さはひしひしと伝わってくる。なにしろあの綿菓子のような笑顔ができる男なのだから。
「なっちゃん、なんか青葉と話したがってたよ」
「ほう、そうか」
それには思い当たる節があった。恐らく名前の話だ。律儀な彼のことだ、本当に調べてきたのだろう。
客を席まで案内して、注文を取る彼の後ろ姿を横目で見た。あとで時間が出来た合間に聞いてやろう。
「今日は何借りたの?」
「夏目漱石」
「うん、うん、いいね」
俺はいつもの如く、カウンターに貸し出した本を置いて美咲に披露した。
夏目漱石の恋愛小説『三四郎』。
「えっ?ちょっと意外」
「だろ」
「青葉が恋愛小説読むなんて」
普段あまり恋愛小説は手にしない。そんな俺がこの本を手に取ったのは、きっと先日の枝本のことがあったからだ。美咲に簡単に経緯を話すと、「青春だねぇ」と破顔した。
「青葉の青春はいつやって来るんだか」
「さあな。そのうち向こうからやって来るだろ」
「名前の響きだけは立派に青春じみてるのにね」
「お前それ俺の親に言ってみてくれよ」
「おっと、私としたことが失言だったわ...」
ふふ、と美咲は笑って、淹れたてのコーヒーを俺に差し出した。
今日もいい香り、いい色だ。
「はいどーぞ。お楽しみあれ!」
「今日はお前の失言のせいでせっかくのコーヒーのクオリティも半減だろうな」
「安心して飲んで。そんなことは絶対言わせないから」
美咲は自信満々でそう言うと、コーヒーというお供を得た俺を残し、メガネくんのヘルプに向かった。今日のNOGIはいつもより賑やかだ。第3土曜日である今日は、図書館で親子向けのイベントをやっており、そのおかげかNOGIへの人の出入りも多いのだ。メガネくんも、まだ不慣れながらもせっせと仕事をこなしていた。どうやら今日は、じっくりと話す時間は取れなさそうだ。
美咲のコーヒーを飲む。美咲の言う通りの文句の付けようのないクオリティに、満足した。
熱々のコーヒを二口ほど飲んでから、俺は漱石の本を手に取り、静かに表紙を開いた。
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