アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
人間不信
-
「さっきからなんだ、ニヤニヤして」
「してません」
昨日の逆プロポーズがフラッシュバックして時々顔が綻んでしまう。隼人くんのことで大変な時に不謹慎だと分かっているけれどついつい。
「そういえば久保から産休制度について聞かれたな」
「えっ」
それが今、引き攣った。
「お前たちが分かりやすい人間で助かるよ。気を遣わなくて済む」
桐生先生の無関心とも言える無表情さ。産休だろうと男は働けよと言われるんだろう。うんうん、もちろんそのつもりだよ。
「それはよかったです」
「あいつが休暇を取るときはお前もセットで休め」
え?休め?副院長が産休?だめでしょ。隼人くんもまだ回復できそうにないんだし。
「はい?何言ってるんですか?働きます」
「いい。休める時に休まないと体が持たない」
「いやいや、全然休める時じゃないですから。それこそ気を遣わなくて大丈夫です」
「これは気遣いじゃない。助言だ」
「……?」
「精神科医でもないお前が今のまま皆川魁と隼人を担当していたら、どんなに鉄メンタルであっても心を病む可能性がある。そんなのが隣にいて安心できると思うか」
「………」
「第一、仕事で疲れ果てたお前にあいつが気を遣って言いたいことを言わなかったらどうする?」
「それは…」
得意の鉄メンタルで乗り越えたい所存…。
「目の前にいる大切な存在を守れるのはパートナーであるお前だけだ。ただでさえ妊娠というのは心が不安定になったり周りの環境に過敏になる。こんな時くらい、プライベートを優先しろ」
「桐生先生……」
いいの?本当にいいの?休んじゃうよ?いいの?
気遣ってるんじゃない?精神科医じゃないのは桐生先生も同じですよね?桐生先生だって、しんどいですよね?
「結婚式はいつだ?」
「へっ?」
「久保とお前を育てたのは俺だからな。スピーチは任せなさい」
……桐生先生だって本当は余裕ないくせに冗談を言って祝福してくれている。
一番大切な隼人くんがあんな状態なのに。人の幸せ喜べるわけがないのに。
いくら嬉しかったからとはいえ、顔に出してしまったことを後悔した。
普段気を遣わない桐生先生に気を遣わせてしまった。
「休むタイミングが決まったらすぐに報告するように」
「………はい。ありがとうございます」
◇
桐生先生の気遣いは素直に嬉しいけど、でも「はい、そうします」って頷くには難しい話だった。
そりゃもちろん、隼人くんの主治医は桐生先生なわけで俺はサポート役だけど…。
魁くんのお父さんを簡単に信用して騙されたのは俺の負い目で。
それが原因で今こうなってるんだから、その責任は取るべきじゃない?
「飯窪先生」
「………」
病室の鍵を開けっ放しにしてしまったのも俺の不注意。確認不足。
働けるまで元気になった隼人くんを地獄に突き落としたのは…正真正銘、俺だ。
「飯窪先生?」
それなのに…。
くいっと白衣を引っ張られ、我に返った。
「何か嫌なことあった?」
お疲れ気味の隼人くんにまで気を遣わせてしまう俺なんて。
「ううん。ごめんね。お水飲む?」
「うん。ねえ、飯窪先生?」
ペットボトルの水を渡し、話を聞く。
「俺ね、ちょっと元気になったよ」
「うん?」
「夢でね、みんな楽しそうにお花見してたの。懐かしいな。楽しいなって…。思った。戻りたいって、思った。だから、そのために、がんばる」
「うん…?」
「罪をちゃんと償って、あの子にも、謝って、もう少し生きられるように、がんばる」
「……罪?謝る?」
「うん。ケントくんに謝りに行く。あの子…あの子にも混乱させてごめんねって」
あの子って魁くんだよね。どうして隼人くんが謝るの。
俺だよ、謝らなきゃいけないのは。
「ごめんね、隼人く…」
「飯窪先生!キリちゃんには内緒にしてね」
「え?」
「今キリちゃんね、俺のせいで余裕ないの。俺が謝りに行くって言ったらすごく怒るから。内緒ね。気持ちが落ち着いてるうちに…謝りたいの」
「いや……」
それは余裕がないんじゃなくて…。
俺には今の隼人くんの方がよっぽど余裕なさそうに見える。
焦っているのか早口で捲し立てるように言うなんて、おっとり系の隼人くんらしくない。
「あの子に会わせて。お願い」
「隼人くん。ごめんね、それはできない」
桐生先生も目の前にある大事な存在を守ろうと必死なんだよ。余裕がないんじゃなくて、会うべき時は今じゃないって誰が見ても思うこと。
「………」
「隼人くんに問題があるわけじゃないんだ。魁くんの性格とか病状とか、ほら、転院してきたばかりでまだ掴みきれてないっていうか」
「…………」
「そもそも、原則、精神科に入院してる子は特定の医師意外と顔を合わせられない決まりでね…」
「……………」
…なんか、…怒ってる?
めちゃくちゃ怒ってる?
一点を見つめてゆっくり息をしている隼人くんはさっきまでと様子が違う。
「はや…」
グシャッ!!
痛っ。
「隼人くん?」
さっき渡したペットボトルが勢いよく飛んできたんですけど。
「嘘つき」
え?
「隼人くん」
「キリちゃんも、飯窪先生も、ケントくんもみんな、お前は悪くないって言った!!」
「うん。悪くないよ」
「嘘つき!!!」
「嘘じゃない」
「嘘つき!!!人を刺した人間が悪くないわけないじゃん!!いいことと悪いことの区別も付けられない馬鹿だと思ってるんだ!!」
「そんなこと思わないよ。あのね、隼人くん。悪意があって刺すのと事故で刺してしまったのとでは全然違うんだよ」
「じゃあどうして隠したの?悪い夢でも見た?って、俺が悪いことをしたって知ってるから隠したんでしょ?」
「そうじゃない。無理に思い出す必要がなかったから。あれが事故だったって、当事者のケントくんも、俺も、桐生先生も分かっていたから、思い出させたくなかった。どれだけ君は悪くないと言ってもこうやって、…。こうやって自分を責めるから!」
「分かったように言わないで!!!どうせ、飯窪先生なんて、俺のことめんどくさいと思ってるくせに。面倒事を増やさないために嘘ついたくせに!!!みんな嘘つきだ。キリちゃんだって、一緒に住むのに嫌気が差して閉じ込めてるんだ。俺なんて、家族も友達もいない、いらない人間なんだから」
……………なにこれ。どんな悪夢よ。
こんな悲しいこと、言わせたくなかった。
いらない人間なんて言わないでほしかった。
心の病気だって分かってる。分かってるけど。
そんなこと言われたらこっちまで辛いよ。
「……死にたい」
……今ここにいるのが桐生先生じゃなくてよかった。
元気で明るい隼人くんを知っているから、こんな辛そうな姿を見たら…。
「隼人くん…。ちょっと眠ろうか」
桐生先生の周りをチョロチョロしていた可愛らしい隼人くんが脳裏を過ぎる。
…しんどいよ。
桐生先生。あなたなんてこんなの比じゃないくらい辛いんですよね。
…すみません。浮かれてしまって、本当にすみませんでした。
患者さんと真剣に向き合わないのは俺の短所です。
だから未だに主治医になったことがありません。
それが楽だからいいと思っていました。
でも。それはもう、辞めます。
今更だけど、遅すぎるけれど、大切な人を傷付けたくありません。
「………飯窪先生…ごめんねぇ…」
鎮静剤を打ち込み、眠りに落ちる寸前。
泣きながら謝る隼人くんに、心の中で謝った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
61 / 66