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鳳雛
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空になった粥の器をもって、仲影様は部屋を出ていってしまった。この広い部屋に一人というのはとても寂しいものだと、一人になってから思い知らされた。
……仲影さまはきっと、私のためを思ってああいってくださったのだ。その言葉は厳しく恐ろしいものだった。また私は捨てられてしまうのかと怯えた。
しかし、これは私の卑屈さが招いたことだ。正直、詩を詠むことも自分の内面を吐き出すためであって人に評価されるためではなかった。でも、それではいけないと、きっと仲影様はそう言いたかったのではなかろうかと思う。
ふと、机の上の紙と硯が目に入る。無造作に置かれた硯は磨き抜かれた美しいもので、芸術的価値も高いものなのだろう。筆も墨も私の家では到底手に入らなかったような高級品だ。一体、仲影様とはどんな身分の方なのだろうか。食客を養えるだけの余裕のある貴族であるということしかわからないが、もっとずっと高い地位にいるような気もする。
筆を試しに手に取ってみる。しっくりと手になじみこれはきっと書きやすいに違いない。玉でできた私の雅号の印と朱肉まで用意されていた。
今の私なら、書けるのではないだろうか。自分を主張し他人に認めてもらえる詩が。仲影様はきっとそれを期待しておられる。私は詩人だ。書かなければいけない。書かなければ……そのあとのことはあまり想像したくはない。
水差しから数滴水を垂らし、墨をする。この匂いはいつも私を落ち着かせてくれた。ふといつもの癖で小刀を探してしまいはっとした。
いつも、ここに手首を切ってその血を垂らし、それで詩を綴っていた。けれどもう自分を傷つけることはできない。仲影様にそう命じられたから。
墨を筆につけ、思案に耽る。一文字、思い浮かんだ『煌』の文字。私の書く詩の中では異質なものだった。きらびやかで華やかで明るすぎて、いつもの私には似つかない。いつもの私なら鼻で笑って消してしまっただろう。
一文字、それを書いてみる。字の通り、その字が煌いて見えた気がして思わず筆を取り落しそうになる。そして、字から光があふれ、文字を綴っていく。必死で私はそれを追い、書きとっていた。
最後の一文字まで綴ってしまうと、その詩の内容が頭の中を駆け巡る。
輝く光に、空を優雅に飛翔する鵬。飛び去るまでずっと、私はそれを眺めている。ただ、それだけの内容。普段の私の詩からすれば駄作の中に入るのではなかろうか。しかし、なぜかずっとそれをつづった紙が輝いている気がするのだ。
扉を叩く音がした。返事をすると、仲影様が入ってきていた。私がずっと紙とにらめっこをしていることに驚いたようだった。
「書けたのかい?」
「はい……」
「どれどれ……」
私の肩越しに、仲影様は詩を読んでいるようだった。溜息が漏れ、それが感嘆なのか落胆なのか区別がつかずとてもどきどきする。やがて頭に手を置かれ、優しく撫でられた。
「君はやはり鳳雛だった……素晴らしいよ」
「ほう……すう……ですか」
「鳳凰の雛、世に出ていない天才、そんなふうにとらえてくれればいい。君の詩は、明るい方がいいね。この詩はとても綺麗だよ」
「ありがとう……ございます」
安堵した。まだ私は、ここにいることができる。詩人として必要とされている。素直にそれが嬉しい。鵬は、私の心まで明るく照らしてくれた。
大丈夫だ。私は、ちゃんと前を向ける。
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